続かない物語

ハッピーエンドにせよバッドエンドにせよ「終」の文字と「制作・著作NHK」と表示されると画面の中で繰り広げられてきた物語は終わる。しかし物語は悠久の時から一定範囲の時間を切り取ったものでしかないので、当然のことながらその後も物語世界では時間が流れている。「終」のその後のことはいい物語であればあるほど気になりがちだ。よって純と愛のその後は気にならない。私は。全く。

 おとぎ話であれば主人公が王子様と結婚して幸せにずっと暮らしましたとさ、で良いし、そこに文句をつけるような人にはちょっと空気を読んで黙ることを覚えて欲しい。

 しかしこれが現実世界だとその幸せがずっとつづくかどうかなんて誰にもわからない。子供ができなかったために子供が欲しいからという理由で配偶者から離婚を迫られることもあるだろうし、子供がいなくても夫婦二人で幸せに暮らしたかもしれないし、子供が生まれても無慈悲に加速してくるプリウスに子供と一緒にはねられて死に、その犯人が逮捕されずに任意で取り調べを受けることになるかもしれない。

現実では自分のコントロールの範囲を超えることが多々起こる。良いことばかりならいいが、そうはいかん、ざ、ざ。いやなんでもない。

 人々は物事が良い方に向かわないパターンに備えて地位やお金や勲章といった保険を求める。そして、それを使って自分の物語を少しでも良い方に修正しようとする。それ自体はとても自然なことだと思う。

もちろんどんな人生を送ろうが誰しも物語の最後に訪れる死という結末は同じ。結末は同じだけれど、そこへ向かう過程はどうとでも変わる。

私たちが映画やドラマを見たり小説を読む時、求めているのは過程だ。映画の予告編で盛り上げる場面だけ編集してみせるのは過程が面白そうと思ってもらえれば観客が入るからだ。面白い物語が2時間繰り広げられて最後の5分の終わり方が微妙でも許せてしまうのは「過程>結末」だからだ。

だから最後に皆死ぬからといって今死んでも同じというふうに考えるのは違う。生きてればどんな形であれ自分の物語の過程は自分で編集できる。紙とインクがあるのに長編を短編にしてしまうのはもったいなくないか?と私はだるまや岩崎に伝えたかったが、それは叶わなかった。

なぜなら当時はNoteがなかったからね。


制作・著作 はる

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