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また鎌倉が好きになってきた

一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見てから、ちょこちょこ鎌倉に遊びにいくようになりました。

もともと鎌倉に行くのは好きだったのですが、小町通り周辺の混雑が苦手で少し足が遠のいていました。

そしてコロナ禍が明けて、国内旅行客や外国人観光客が大勢押し寄せる鎌倉…。ニュースなどでも取り上げられているオーバーツーリズムの状況を見ると、ちょっと無理かも…なんて思ったりして。

でも、横浜から遊びに行くには東京よりちょっと身近で、海や山の自然が感じられる鎌倉は魅力的なんですよね。

そこで思いついたのが…朝から出かけて、お昼くらいに帰ってくる作戦!(それって「作戦」なのか?というのは気にしないでください…)

第一弾は北鎌倉から円覚寺、建長寺、鶴岡八幡宮までのお散歩です。2月半ばの写真です。円覚寺や建長寺に入ったのなんて何年ぶり?いや、十数年とか二十数年ぶり?っていう感じです。

まずは北鎌倉駅を降りてすぐ目の前にある円覚寺です。

円覚寺は、1282年(弘安5年)に執権の北条時宗が中国・宋から招いた無学祖元禅師により開かれた禅宗寺院です。

当時は1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の二度にわたる元寇の直後。鎮護国家(仏法により国家の安泰を願う)や蒙古襲来による殉死者を弔うため、円覚寺の建立を発願されたとのことです。

総門をくぐると大きな山門が見えてきます。朝は空気も澄んでいて気持ちいいです。
陽の光に輝く梅。しかし…輝いているようになかなか撮れません…。
仏殿の白龍図。龍の爪は三本。中国の皇帝は爪五本、韓国は爪四本、日本は爪三本…らしい。
境内の塀に映る木々の影。風に揺れて幻想的です。
高台にある鐘楼付近からは富士山が見えました。

円覚寺を出て15分くらい歩くと建長寺に着きます。

建長寺は1253年(建長5年)に蘭渓道隆禅師によって開かれています。当時の寺院は一つのお寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねているところが多かったので、日本で最初に”禅寺”と称して中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場というはたいへん珍しかったみたいです。

中国宋朝風の専門道場なので、今でも色々なところにその名残をとどめています。儀式のときの靴や石を張り詰めた堂内の床は日本風の寺院にはあまり見られませんよね。

総門を入ると山門が見えてきます。この造りは円覚寺と同じです。
仏殿には地蔵菩薩が祀られています。その脇の靴箱に並んだ中国風の靴たち。
仏殿の床には石が敷き詰められていて、映画『少林寺』を思い出します。

建長寺を出て道沿いに歩いて行くと10分くらいで鶴岡八幡宮に着きます。

鶴岡八幡宮は、源頼朝の祖先である源頼義が源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀ったのがはじまりとのこと。源頼義といえば息子の義家とともに前九年の役で東北の安倍頼時父子を討ち,源氏の基盤を東国に固めた人です。その後、源頼朝が今の場所にうつし、鶴岡八幡宮の基礎を築いたそうです。

今回の鎌倉散歩は鶴岡八幡宮まで。お昼近くになるとやはり人出が多くなってきますね…。

次回をお楽しみに^^

本宮前からの眺め。階段下に舞殿があり、その先に三の鳥居が見えます。

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