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こども食堂と1000円札

今朝、テレビで「こども食堂」という存在をはじめて知った。

「今晩のご飯はボク1人なんだ」
「お母さんがお仕事の日はお弁当を買って食べるの」
そんなとき、こどもが1人でも入れるのが“こども食堂”です。

栄養満点の温かいごはんをつくって待っているのは、
近所のおじちゃん、おばちゃん、お姉さん、お兄さんたち。
そんな地域のこども食堂へ行きたい人、手伝いたい人を
結びつけるのが、私たち『こども食堂ネットワーク』です。
こども食堂ネットワークより


施設によってはワンコインで会計が出来るところもあって、そのコインは5円でも50円でも500円でも、外国のコインでも対応してくれるらしい。

両親が共働きで、鍵っ子で、家でひとりで寂しくご飯を食べるこどもにとっては夢のような施設だと思った。


私がこどもの頃にこんな施設があったら、どれほど有り難かったことだろう。

私には2つ年上の姉がいる。


姉は生まれつき体が弱くて小児喘息がひどくなるたびに入院を繰り返し、私は鍵っ子で、いつもひとりで留守番をしていた。

父と母は私が小学5年生の時に離婚した。

原因は父親の会社が倒産して抱えた借金だった。

住んでいたマンションは抵当に入り、私と姉が習っていた唯一の習いごとのために母が買ってくれたピアノには見えない赤札が貼られていた。


離婚が成立するまでの最後の2年間、母は私と姉と3人で暮らすために毎日働き続け姉の病院へ通い、家に帰ってくるのは夜遅かった。

父は家にほとんど帰って来ずに、私は2年間ほぼ毎日1人で夜ご飯を食べていた。


小学校から帰ってくると食卓の上にはいつも、近所の蕎麦屋の出前のメニューと寿司屋のメニューと1000円札が1枚置いてあった。

それは母からの「これで出前でも取りなさい」という私へのメッセージだった。

私は幼心ながらにそれをとても寂しく感じていた。

家に帰ってくるたびに「お金はいらないから誰かと一緒にご飯が食べたい」といつも思っていた。


結局いつも家にあるものを適当に食べて、出前を取ることはほとんどなく、使われることのない1000円札は適当な筆箱に入れて、それは机の奥に溜まり続けた。


この頃に、家の近くに、歩いて行ける距離に、”こども食堂”があったらどれだけ救われて助かって、有り難かったのだろうか。

こども時代の私ことではなく、

当時の「母」の心や、気持ちのことだ。


こどもを持ち、親になって初めてわかることがある。

今、当時の母の気持ちを考えると、父と離婚することを決めて、これからシングルマザーになって2人の子供を育てることへの金銭的不安。

必死に働きながら、こども1人の晩御飯のために、毎日1000円置いて出かけることがどれほど大変だったのか、今は痛いほどわかる。


母は私のことを考えて、買い物に出かけなくても済むように、出来る限り美味しいものを食べて欲しい気持ちを1000円に託していたのだ。


私は今でもトラウマなのか、小さい頃に叶わなかった夢=家族で食卓で晩御飯を食べることをとても大事な行為だと思っている。

どんなに夫の帰りが遅くても、必ず毎日一緒にご飯を食べている。


それほど、幼少期に食卓を囲むという体験は重要で、大人になってからも自分の家庭に影響を与えるものだと思っている。


こども食堂を考えた人は、こどもの頃に寂しい思いをした大人が、自分と同じようなこどもを救いたいと思って立ち上げたのかもしれない。

もしくは、幼少期の寂しかった自分を、大人になって救ってあげたい気持ちで立ち上げたのかもしれない。

どっちにしても素晴らしい発想に変わりはない。

寂しい思いをするこどもが1人でもいなくなること、それはそのこどもの親も一緒に救っていることになるのだ。

寂しい思いを次の世代に引き継がないような工夫や、サービスがこれからももっと増えて広がりますように。

はる






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