0か100かだけで考える毒親

子どもの頃、私は県営団地に住んでいた。団地の中には公園があり自転車も走れるくらい道は広く、私はよく近所の友達と団地内で遊んでいた。

あるとき、親戚のお姉さんから少女マンガキャンディキャンディのイラストが描かれた補助輪付きの自転車を譲ってもらい、私はその自転車に乗って団地内を走り回って遊んでいた。

私の友人のまいちゃんも自転車を持っていて一緒に自転車を並走して遊んでいたが、まいちゃんは「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」なジャイアン的な側面のある子だった。
まいちゃんは自分も自転車を持っているにもかかわらず、私のキャンディキャンディの自転車をちょっといいなと思ったのか、「かしてー」と言って私の自転車に乗って遊ぶこともあった。
彼女が私の自転車を乗り回している最中、私は自転車を貸してもらうわけでもなく(私は自転車に乗っていない状態で)彼女の隣でガーッと全速力でダッシュをしていた。

どうやら、この一部始終を毒父母が部屋の窓から見ていて、2人は憤慨したらしい。
私は家に帰るやいなや、毒父にすごい剣幕で怒鳴り散らされた。

「なんでお前の自転車に他んちの娘が乗ってんだ!!!お前は自転車をくれたお姉ちゃんに申し訳なくないのか!!何お前はやられっぱなしになっていいようにされてるんだ!!それでも悔しくないのか!!馬鹿野郎!!」
毒母も「アンタが悪いんだから怒鳴られて当たり前でしょ」という冷酷な表情で私を睨みつけており私には逃げ場がなかった。(よく、子育てではお母さんがガミガミ叱ったらお父さんはフォローに回って逃げ場を作るなどのノウハウを聞くが、うちの場合は家庭内にどこにも逃げ場がなかった。今思い出すと本当に辛い。)

私はまいちゃんに自転車を取られて、自分は自転車に乗れず隣で全力疾走することに対し特段嫌な気持ちにならなかったが、その光景を見て親は一方的に「そんなことでお前は悔しくないのか」という意見を押し付けてくる。
だが、私がまいちゃんに自転車を奪われて何も思わなかったのは家庭内で親に搾取され続けた結果、それに慣れすぎてしまっていたとも取れる。
事実私はアダルトチルドレンで親の顔色をいつも伺っていたし、あまり自己主張をする子どもではなかった。
生まれてこのかた、私は虐げられ続け、弟が生まれてきてから姉である私はさらに存在を軽んじられ続け、まいちゃんに自転車を奪われるくらいでは私は動じなかったのではないか、今ではそう冷静に分析できる。

私は毒父と毒母にこっぴどくこの件について怒鳴られ「人に簡単に自転車を取られるなら、お前なんか自転車に乗るな!!!あんなもん捨てちまうぞ!!」と言い放たれた。

そうして、自転車は県営団地の暗くじっとりした枯葉だらけの駐輪場裏の空間に雑に放り投げられた。

それから私は自転車に乗って友達と遊ぶことができなくなり、まいちゃんや周りの友達に「はるちゃん、自転車はどうしたの?」「はるちゃんは自転車は持ってないの?」とよく聞かれた。「自転車に乗って遊ぼう」と友達から誘われたこともあったが、毒父母にされたことを打ち明けることもできず、みんなが自転車に乗っていても私は1人だけ自転車に乗らずに走って遊ぶこともあった。
また、自転車の話題が上がる度に、駐輪場裏に放り投げられた自転車や毒父母に思いっきり怒鳴り散らされ殴られたことを思い出して辛く悲しい思いをした。「私はパパとママを怒らせてばかりの悪い子」という罪悪感も背負っていた。

私は自転車に乗って遊べなくなったことは悲しかったが、すべて自分が蒔いた種なんだとひたすら自分を責め、父の言う通り私なんか自転車に乗る資格がないと信じて疑わなかった。

しかし、何かにつけてちょこちょこと毒母は自転車の話題を持ち出してきた。
「はる、アンタこのまま自転車乗れないままでいいの?自転車取り返しなさいよ、悔しくないの!?情けなくないの!?」と煽ってくる。
毒母は自転車が駐輪場裏に追いやられた当時、なんの助け舟も出さなかったが、父親に頼んで自転車に乗らせてもらう許しを得るよう度々促してくるのだ。
(普通は、父親が自転車を捨てようとしたら母親は「かわいそうだから、やめてあげて」と止めにかかるものじゃないんだろうか)

私はもはや自転車には興味がなくなっていて(というより興味を親によって失わされていて)自分には自転車に乗る資格さえないと思っていたので、毒父に望んでもいない自転車に乗せてもらえるように交渉するのは毎回苦痛で仕方がなかった。
ただでさえ、いつも怒鳴り散らしてばかりの毒父になぜもう興味もない自転車の話題など持ち出して許しを請わねばならないのか。

しかし、毒母は「そんな根性もお前なはないからダメなんだ」と常に私に圧力をかけてくるため、私は別に望んでもいない交渉を毒母の言われるがままに何度も毒父に持ちかけていた。
「パパ、もう、あたし自転車に乗ってもいい?」と言うたびに
「ふざけるな!!バカかおまえは!!!」と人格を否定するような罵詈雑言を浴びせられ、私にはどうして良いのかわからず、いつも心はズタズタに傷つけられた。

1年か半年くらい経った頃だろうか、また毒母に指示を受け、いつものように交渉を持ちかけると「何度もうるせぇなあ!お前なんか勝手にしろ!!」といつものごとく怒鳴られた。
5歳の私には「勝手にしろ」という意味がわからず (というか、そんな乱暴な言葉を5歳児は知らなくて良い)毒父は怒っているというメッセージだけを受け取った。
毒母からは「ホラ、許してもらえたんだから自転車を取ってきなさい」と通訳され、もう興味もなければ、辛く悲しい思い出しかない自転車を駐輪場裏から引っ張り出した。

自転車はタイヤの空気がペコペコになっていて、サドルやハンドルには土ぼこりがかかって蜘蛛の巣も張っていて、私は自転車にさえ申し訳ない気持ちになって「あたしがダメな子だから自転車はこんな目に遭っちゃったんだね…」とひどく心を痛めていた。
ある日突然親に自転車を与えられ、またある日突然怒鳴られて自転車を奪われる。なんでこんな辛い思いをして私は自転車に乗らなきゃいけなかったのだろうか。

このように、毒親は子どもに対してなにがどう間違っているのか丁寧に説明を行わない。(私の親の毒父母の場合は学がなくそれを説明するスキルがなかったとも思える)自分が気に食わないといつも感情に任せて怒鳴る、暴力を振るう、そしてモノや機会を根こそぎ奪って虐げるということが多々あるのだ。
5歳児の私にはなぜ毒父母が怒っているのかわけもわからず、ただただ自転車に対するイメージを悪くしていった。「自転車の話するとなんかパパもママも怒る。怖い。もう自転車も怖い。乗りたくない。」と。

実家は低学歴低所得世帯で私は4歳の頃から県営団地暮らし。いわゆる社会的弱者に属していたと思う。毒父母は自分が社会の底辺にいることには薄々気づいていて、自分に絶望していたのだと思う。子どもには強くあってほしいという自分の願望を投影し、自転車を易々と人に譲ってしまうような自分の子どもを見てコンプレックスを刺激されたのだろう。当時私に向けられた怒りは、弱い自分自身に対する怒りや悲しみや絶望だったんだろうと思う。
毒父母は自分の怒りの湧きどころや沸点を大人でありながら冷静に分析せず、子どもを平気で怒鳴り散らしたり暴力を奮ったりすることで劣等感を昇華しようとする。

他人に自転車を譲ってしまう子どもに対し、自転車自体を始末して自分は惨めな子どもの姿(本当は毒親自身)から目を背けようとするなど、なんと乱暴で雑な方法論なのだろうか。
0か100かの価値観しか持てずそれをおしつけてくる親を持つと、このように子どもは苦労してしまう。

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