矛先は一番弱いところへ

県営団地で暮らしていた子ども時代、私は団地のガキ大将的な存在の子からいじめや意地悪を受けたことがあった。
いじめっ子の親ももしかしたら毒親で、家もうちと同じように貧しかったのかもしれない。そのストレスのはけ口が、私に向けられたこともあったんだろうなと思っている。

小学校1年生の頃、3年生〜5年生の子5人くらいから1対複数でいじめを受けたことがある。辛くて怖くてわんわん泣いて急いで自宅に逃げるように駆け込んだ。
家にいた毒母にいじめに遭ったことを泣きながら訴えて、慰めてもらえることを期待したが、彼女はこう言い放った。「アンタがナヨナヨしてるからでしょ!そんなことで泣くんじゃない!!みっともない!」
近所の上級生からいじめられ、泣く泣く逃げてきたのに毒母にも強く当たられてしまった小学校1年生の私。毒母に言われた言葉を真に受けて
「そうか、自分が悪かったのか」とさらに落ち込んだ当時の私を、今抱きしめてあげたい。

それから17年後、何気なく見ていたFacebookで、かつて私を虐めた彼女たちのページをたまたま見つけてしまった。
二十歳を超えた彼女達は、髪の色がやたらと明るかったり、早期に子どもを設けていたり、旦那さんと思わしき人は刺青を入れている人だったり、あまり勉強をしてきた雰囲気ではなかった。そして、あまり豊かな生活を送っているようにも見えなかった。
一方、団地以外の友達は大学を出て立派な会社で働いている人もちらほらいて、両者の間には深い溝があるような気がした。

私は、いじめっ子達の末路をFacebookから上間見てから、自分のこれまでの努力を再確認した。
頑張って勉強して、あの場所から抜け出して、自分でお金を稼いで自立して、今はこんなに自由に好きなことができている。正直、彼女達に勝ったと思った。
そして、私を虐め続けた毒母も、いまだ貧困家庭で、50歳を過ぎた今も頭を使わない、ノウハウもスキルも蓄積されない単調な肉体労働に従事している。

いじめっ子も貧困も毒親も社会病理みたいなものだ。社会の構成員がこれだけいたら一定数は存在しつづけ、学術的な視点で見ても0にするのは不可能というのが答えだと思う。
実際、いじめっ子も毒親も健全な心を持っていないから弱いものいじめをするのであり、彼らにはケアが必要だともわかっている。
しかし、理屈ではわかっていても、虐げられ続けた被害者には加害者の気持ちを慮る余裕なんてない。

だから、私はかつてのいじめっ子のFacebookを高みの見物のように、あら苦労が多くて大変そうね、と言いながら見るし、親から今後支援を求められても面倒を見る気は一切ない。

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