自己肯定感の低さ

毒親育ちの人にありがちなのが自己肯定感の低さ。
私は対外的には自信がありそうに見えるとよく言われるが、自信なんて本当は全くない。

カウンセリングを受けた際に、先生の話すことをノートにメモしていたら、こんなことを言われた。
「あなたは筆圧が本当に弱い。自分がそこに存在していないかのように、自分の存在をかき消すかのように。なぜそんなに自信がないの?」
たしかに私は筆圧が弱く、走り書きするようにいつもメモを取る。それは小学生くらいから変わっていないかもしれない。
そこに存在していないかのように、と言われて、こう思った。「そうだよな、存在してはいけないというメッセージをいつも親から受け取っていたからな」と。

心理学の世界で禁止令という言葉があるが、私も例外なく禁止令を受けていた。例えば、いつも優しくにこやかな両親の元に生まれた子どもは「私はなにもしなくても愛される、いつもありのままを受け入れられる。」と考える傾向にある。
しかし、私のように親がいつも不機嫌でなにをしても怒られるという状況に置かれると「私は何か行動しようとすると怒られる」と感じる傾向が強くなる。

私が受けた禁止令

子どもの頃、すごく悲しいことがあった。私の母親はいつも怒鳴り散らし、殴る蹴るの暴力は日常茶飯事だった。それでも、私の母親は彼女一人しかおらずどうにかして母親の愛情を確認していたかった。
当時私は幼稚園生で、誕生日に幼稚園でもらったアルバムがあった。アルバムには4歳の私の手形と、母親と担任の先生からのメッセージがあった。
いつも怒っていて怖い母親もこの時ばかりは優しいコメントを書いていて、私は母親にいつものように人権侵害まがいの罵声を浴びた後に、それでも母親は自分を愛しているはずだと再確認するために何度もそのアルバムを開いた。
しかし、ある日泣きながらそのアルバムを見ていると母親が「なにそんなもの見てるんだ!」と怒鳴り散らし私からそのアルバムを取り上げてしまった。
それからそのアルバムはどこに行ったのか分からず、小学校5年生の頃に押入れの布団の奥の奥の方に隠されているのを発見した。
私は生まれてきてはいけなかったんだと思った。
これは禁止令の中でも「存在してはいけない」という命令にあたる。

禁止令を受けて20年以上経つが…。

この思い出はつらくて、誰にも打ち明けられず、28歳になってから初めて夫に話している。
28歳になるまで約30年近く、誰にも言わずにずっと自分一人の胸の中にとどめてきた。ことあるごとにフラッシュバックが起こり、あの時の惨めで悲しい思いが蘇る。
誰かに話して「かわいそう」という哀れな目で見られるのが怖かった。そう見られてしまうと、ますます自分の惨めな境遇を再確認しなければならないからだ。

この話は、夫に話したその後、カウンセラーの先生に話し、今回はこうしてブログに書き起こしているので、人に伝えるのは3度目になる。
だが、書き起こしている今もきゅーっと胸が締め付けられ、涙腺が緩むほどに苦しく悲しい思い出である。

こうした自分の存在を否定されて無視されるような体験は毒親育ちでは珍しくない。実際私はこうした経験が数え切れないくらいある。自分が当たり前と思っているだけで、他にも親の異常なモラルハラスメントはまだまだきっとあるだろう。こうした境遇に生まれれば、自己肯定感が低いのも当たり前だろう。

私は一生親を許さない。

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