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スラム街の片隅にあるその薄汚い集合住宅は、いくつもの小さな部屋と薄暗い廊下で出来ていた。

そこにはたくさんの人間が住んでいた。シャブ中。売春婦。盗っ人。ちんぴら。共通するのは全員が無口な脱落者だということだ。

そんな集合住宅の部屋のひとつが僕の住居だった。衛生的にも治安的にも最悪の環境だったが、無口な脱落者たちの間にある"お互いに干渉しない"というルールがとても楽で、居心地がよかった。

ある日、そんな無口な住人たちが珍しく騒いでいる声で目を覚ました。耳を傾けてみると、どうやら建物の中を猛獣がうろついているらしい。みな酷くおびえ、ある者らは殺気立っていた。それぞれ手には銃や刃物を持っていた。

僕もタンスの奥から銃を取り出し、薬莢を装填し、部屋を出た。

「こっちに来たぞ!」とひとりが叫んだ。薄暗い廊下の向こうから、黒い影がこちらにゆっくり近づいてくるのが分かった。後ろを振り返ると、ほかの住人たちはみな武器を捨てて逃げ出していた。

獣はもうすぐそこだ。ふたつの鋭い眼でこちらを直視しながら、ゆっくりと近づいてくる。恐怖で全身を震わせながら、銃を構え、引き金を引いた。

火薬の破裂する音が響いた。同時に、獣の頭部から血飛沫が上がった。

獣は倒れなかった。血を流し、ふらふらしながら、それでも一歩ずつ近づいてくる。もう引き金を引く気力は残されていなかった。へなへなとしゃがみ込み、目と鼻の先にある獣の顔を見た。

獣は優しい目をしていた。巨体を傾け、足がすくんでしゃがみ込む僕のすぐそばに倒れた。そしてこちらを見つめながら最期に言った。

「お前に会いに来たんだよ」

獣はそのまま息絶えた。僕はその頭を抱きしめながら、声を上げて泣いた。

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