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大好きな2人がくれたのは、スマホのカメラと向かい合う日。


やっと。やっっっと。終わった!

1月9日。勢いよくベッドに飛び込む。しずむ頭。投げ出した両手。顔を布団に押しつけて、ンフフフフ…と笑ってしまう。完全に怪しい。


卒業論文を、書き終えた!!

提出日は12日。どこぞの曲よろしくギリギリでいつも生きている私としては、3日も前に終わるなんて快挙だった。大ニュースだ、号外配らなきゃ。

快挙を成し遂げられたのには理由がある。
提出日の前日、11日は、大好きなひとの誕生日だ。恋人ではない。友達でも、家族でもない。遠い世界にいる人。いわゆる“推し”だが、今は“大好きなひと”と書かせてほしい。
直接花束を贈れるわけでも、一緒にケーキを食べられるわけでもない。けれどその大切な日を、青ざめながらキーボードを打って過ごすことだけは避けたかった。だから絶対、終わらせたかった。

本当に目標達成しちゃった〜。やればできんじゃん〜! 解放感と満足感で、このままベッドごと天井を突き抜けそうなほど気分が高揚していた。どうしよう、誕生日当日、何して過ごそう!? ケーキ作る? お手紙書く? こんな時期でさえなければ友達を勝手に巻き込んでパーティー開いたのにな。(迷惑)


…そうしてふと、思った。

髪、染めようかな。


***


3年ほど通う美容室には、大切な思い出がある。

私は、自分の容姿や美容といったものにほとんど関心がない。かわいくなりたいという気持ちや、美のために努力するモチベーションが少なかった。自分の顔やスタイルも、好きでもなければ嫌いでもない、という頓着のない感じ。

大学3年の夏。
そんな私が、ある理由で初めてパーマをかけたいと思った。
ショートカットにきりっとしたつり目が特徴的な、担当してくれているカハラさんは、理想のイメージを話す私を少し驚いた様子で見ている。


「…うん、いいじゃん!
 珍しいね、何かあるんですか?」


これまで私が頼むことといえば、「量が増えたのですいてください」か、「前回の長さくらいまで揃えてください」、もしくはその両方。それが、いきなり詳細なリクエスト付きでパーマをかけたいと言い出した。不思議に思われるのも無理はないのだけれど、「珍しいね」とわかるカハラさん、すごいな。


「えっと。好きなアーティストがいて今度初めてイベントに行くから、ちょっと、いろいろやってみたいな…って。」


ハハ…と笑いながら語尾を濁す。これまでがこれまでだったために、急に「オシャレしたいモード」のスイッチがオンになっている自分が、かなり恥ずかしい。しかも理由は、推しのハイタッチイベントのためだ。彼女はそんな人ではないとわかってはいても、引かれないか少し不安だった。


「へぇ! いいねぇ! よっし、それはもう、
 世界一かわいくならんとね。」


ふわっ、と一気に気持ちが軽くなる。
鏡の中には、目尻を下げて頬をゆるませながら、こくりと頷く女の子がいる。

ああ、私、安心するとこんなふうに笑うんだな。


かわいい姿でイベントに行きたいというのは本心だ。しかし、「オシャレしたいモード・オン」で気合が入っているオタクの自分を、どこか冷めた目で見ていたところがあった。けれどカハラさんは、さっぱりとした明るい声で、私の本心を認めてくれた。

それからカハラさんは手を動かしながら、当日のアレンジ方法やケアのアドバイスなど、私よりも真剣になってたくさんのことを教えてくれた。好きな人に会いに行くために、少しでもかわいくなろうとする。その気持ちを認めてくれる人と一番いいと思えるスタイリングをあれこれ考えた時間は、イベントよりもひと足早く、最高に楽しい気分を味わわせてくれた。


***


卒論が終わり、舞い上がった勢いのまま美容室を予約した次の日。見慣れた扉を開けると、いつものようにカハラさんが迎えてくれた。大学入学を機に地元で染めて以来ずっと黒髪に落ち着いていたから、ここで髪を染めるのは初めてだ。

色を決め、ひやりとしたカラー剤を塗り、ラップのようなもので頭を包む。カハラさんはいつも、ちょうどよい頻度とタイミングで話しかけてくれる。


「カラー、何かきっかけがあったんですか?」

「卒論が終わったんです。
 その気分転換に…と思って。
 あと明日が、前に言ってた推し…の
 誕生日だから、ちょっとはマシになりたくて。
 それで。染めようかなと。」

「うわ、お疲れさまです!
 そりゃあ〜もう、
 “最高”のはるさんになって明日を迎えよう。


人の髪を美しく整えるという意味でも当てはまるけれど、カハラさんは、ことば遣いの意味でも魔法をもっている。「マシになりたくて」なんて言い方をしたのに、私の心の奥にある意図を汲んで、はっきりとした表現にする。「かわいくなりたい理由に、何もおかしいことなんてない」と、堂々と肯定してくれる。それがとても嬉しくて、幸せだった。



2時間後。
仕上がりはカハラさんの言った通り、“最高”になった。

うん、これは、世界一かわいいんじゃない? なんて、ディズニープリンセスのように自信に満ちた微笑みをしてしまう。はちゃめちゃに褒めてくれるカハラさんに「明日はいい日にしてね。」と見送られ、美容室を出た。

どうしよう、目標通りに卒論を終わらせられて、明日は大好きなひとの誕生日で、その上、自分好みの素敵な髪色にまでなってしまった。足取りが軽すぎて、これはたぶん5キロくらい体重が減っている。イヤホンをつければひとたび、私はMVの主人公。ほころぶ口元を隠してくれるマスクが、本来とは違う役割で大いに役立っていた。

ついついパウダールームの鏡にスマホを向ける。自撮りはおろか、友達といてもほとんど写真を撮らないのに。
どうやら髪が変わると、心まで変わるみたいだ。



年に数回しかしない自撮りをしながら、気づいたことがある。

卒論から解放された私は、もっともっと明るい気持ちになりたくて、美容室を自然と選んでいたのだな、ということだ。それまで美容室へ行くきっかけと言ったら、量が増えてきたり、長さが気になってきたり、どちらかというと半分は義務のような感覚だった。
しかし、きっと初めてパーマをかけてもらったあの日から、「美容室へ行く」と「明るい気持ちになる」が、私の中で無意識にイコールになった。そしてそのイコールは、今日も変わらなかった。美容室という空間は美に対してナマケモノな私の願いさえも、平等に叶えてくれるのだ。


大好きなひとが、「かわいくなりたい気持ち」をくれた。

そしてカハラさんのことばと技術は、「かわいくなる楽しさ」を教えてくれた。


うん、ありがとうが止まらない。
推しくん、カハラさん、あなたに出逢えてよかった。




もうすぐ引っ越しをするから、カハラさんとは会えなくなってしまう。おそらくあの美容室に行くのは次が最後になるだろう。いつでも私の気持ちを汲み取って受け入れてくれたのだから、最後くらい、変にひねくれたことばで誤魔化さないで、素直にお願いしたいな。

「私を、とびっきりかわいくしてください。」と。

きっと彼女なら「よっしゃ!」と、はじけるように笑ってくれるだろう。

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