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「やりたいことをやる」について思うこと

毎年年末に、「やりたいことリスト」を更新している。
「今年の目標」はまた別に立てるので、
比較的、長期的なものが多い。
いつか、できたらな、みたいな。
(なので、ほぼ毎年持ち越しで書き写し。。)

リストは手帳に書いているし、
今年はNotionにも打ち込んだので、
ときおり見返してる。

この「やりたいことリスト」を眺めていると、
宮下奈都さんの『太陽のパスタ、豆のスープ』を思い出す。

婚約解消でどん底にいる主人公の明日羽ちゃんに
叔母のロッカさんが提案した
ドリフターズ・リスト(やりたいことリスト)の作成。
そこに「やりたいことをやる」と書いた、
明日羽ちゃんの、自分への問いかけ。

不憫だったのだ。やりたいことをやる、と挙げるということは、やりたいことをやってこなかったということだから。
二十何年間もやりたいことをやらずにどうしてきたというのだろう。やりたいようにやってきたはずだった。それなのに、やりたいことをやったという自覚がない。そもそもやりたいことが何なのか、具体的に思いつくこともできない。なんともったいない人生だったろう。
姪の不憫さに、ロッカさんは思わず手を差し伸べたくなったんだと思う。

『太陽のパスタ、豆のスープ』

この小説を読んだのは、
20代後半のころ。
とても、心に ずしんときて、
自分は、どうだろうかと思って、
それから「やりたいことリスト」を作るようになった。

「やりたいことをやる」。
一見、ポジティブに見える言葉が、
とても重く感じた。

それから、その時々ではやりたいことを
やってきたように思う。
淡々と。

それなのに、いま、
やりたいこと迷子みたいに
「40歳の壁」の前で右往左往してるのは
なんでだろう。

で、ふと思った。
やりたいこと迷子じゃなくて、
目的地がなかったからではないか?

これまで、目先の「やりたいこと」をやってきた。
でも、目指すところがはっきりしてなかったから、
行き当たりばったりで、
明日羽ちゃんみたいに
やりたいことをやってきた自覚がないのかも。

20代後半から30代後半になったのに、
前に進んでないのか、
とも思うけれど。。

それでも、いま気づいてよかったと、
思うしかないわけで。

目的地が決まれば、
そこに行くまでの手段や目標が、
やりたいことになる。

目的地、目指すところ、
理想の生活。

それが定まったら、
持ち越してばかりの「やりたいことリスト」も
見直してみようか。

ということで、
なんだか思考がぐるぐるしてしまいましたが、
迷走しながら今日もコツコツがんばります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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