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憧れの女の子と、ゆるやかな抵抗『わすれなぐさ』とジェンダー

 「媚びる風」と書いて「コケットリー」と読む。「可愛い」と書いて「かわゆい」と読む。わすれなぐさの香水、棒紅、夜会服。吉屋信子の小説『わすれなぐさ』にはなんだかチャーミングな言葉がいっぱい詰まっている。

 メインの登場人物は、同じ学校に通う3人の女の子。宝塚やファッションなど華やかなものを愛する「軟派」(時代を感じるね)のリーダー陽子。対照的に、学問に専念する「硬派」の中心で「ロボットの君(きみ)」とあだ名される一枝。そして、どちらにも属さない自由主義の牧子。

『わすれなぐさ』の連載が始まったのが1932年とのことです。もうお分かりと思いますが、この時代の用語・文化を知らないと何を話しているのかよく分からない!リップスティックを棒紅と言っていたり、JRじゃなく省線だったり。有名人などの固有名詞もさらっと出てきます。
私が読んだのは、国書刊行会から「吉屋信子乙女小説コレクション」の第一弾として2003年に発行されたもので、嶽本野ばらさんによる解説と注釈付き。注釈あるなしでは面白さが変わると思います。


憧れの女(ひと)

 3人の友情とそれぞれの人生が話のメインです。
牧子が好きな陽子は、仲良くなりたいと猛アタック。誕生日パーティーに招待し、牧子が参加すると言う夏休みの水泳教室についていき、時に(というかほぼ毎回)牧子を振り回します。牧子はというと「魔法にかかってしまったみたいに」ぼーっとして、心ならずも陽子に振り回され続ける日々。でも、牧子の気持ちは分かる気がする。自己中なお嬢様だけれど、陽子はひたむきでかわいく、魅力的なんです。

例えば二人でホテルにランチに行く場面。陽子はなんとカクテルを頼み、びっくりしている牧子の前で

「甘いのよ、大丈夫よ」
陽子は微笑みつつ、カクテルの盃をあげて、棒紅(ルージュ)の跡濃き唇に当てるのである。(本文より引用)

自分とは正反対の陽子のペースに巻き込まれていく。うん、これは翻弄されても仕方ない。

 一方、牧子は(陽子の存在に押されがちな)一枝のことが気になっており、陽子はもちろんそれが気に入らないので、3人の関係はちょっと複雑です。そもそも陽子と一枝は真逆のグループに属しているし……。でも、特にティーンの頃の友人関係ってこんな感じだよなとも思いました。些細なことでぐらつく繊細さと微妙さ。いつの時代も変わらないんだなあ。そして、作者の視線はどの子に対しても温かくてなんだかじんとしました。3人はそれぞれ家族構成始め、背後に背負っているものは違うのだけれど、「この子が正しい」「女の子はこうあるべき」といった書き方はしていないんです。当時の女の子たちに人気だったのも頷けます。今だったら柚木麻子さんの小説のような感じですかね。


ささやかな抵抗

 あと、強く感じたのが「家父長制」「女の子らしさ」への反発、抵抗。一見さらっと書いちゃってるところが凄いです。

 例えば牧子の父で研究者である弓削博士は、「男は仕事、女は家庭」といういかにもな考え方の持ち主(時代性もあると思うけど)。牧子の弟の亙ばかりを可愛がり、「女が勉強したってどうにもならない」と言う始末。一方で、亙がピアノを弾くのが気に入らず「男のくせに」と非難する(ああ……)。

 でも納得しない牧子は、「はい」とは言わず心の中で「いやだ」と抵抗する。多分、女性に対して今よりもずっと多くの制限があっただろうけれど、そうしたことへの不満と「いやだ」という言葉がはっきり書かれていることは凄いなと思います。

まわりの女性たちの言葉も泣かせます。父とは対照的に、牧子の母は亙のピアノも牧子の勉強も肯定し、「子どもたちには好きな道を行ってほしいと思ってる」と牧子に伝えます。
あと、私が好きなのは一枝の妹の雪江。一枝のうちもまた、軍人だった父が残した遺言に縛られており、一人息子の光夫を大事に育てるべく一枝や雪江はないがしろにされています。でも、光夫を支えているのは一枝。それをよく表すのが、模型飛行機の大会で光夫の飛行機の仕掛けが褒められる場面です。得意になる光夫に、雪江は「これ昨夜、姉ちゃんが随分よく作ってあげたんですものねえ」と「成功の陰には、姉の内助の功があることを仄めかして」しまう。つまり、「得意がってるけど女性(姉)に助けてもらってるの、忘れんなよ!」ということでしょう。それを、恐らくそこまで考えていないであろう幼い雪江にさらっと言わせているところが凄いと思います。


 ロマンティックで「乙女」な世界観と友情を描きつつ、「女らしさの押し付け」にはゆるやかに抵抗する小説。そう私は思いました。嶽本野ばらさんの解説によると「娯楽小説と純文学をニーズに合わせ書き分けていた信子は、単なる亜流の作家として文学史から外されてしま」ったとのことですが、そんなの勿体ない! と言いつつ今まで知らなかったわけだけど。次は『屋根裏の二処女』を読んでみたいと思います。

作品情報

『わすれなぐさ』(吉屋信子乙女小説コレクション1)
作:吉屋信子
監修:嶽本野ばら 国書刊行会 2003

 

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