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日本だったら、は意味がない

前回のnoteの続きです。

Tomodachi Metlife Women's Leadership ProgramでワシントンD.C.へ。1日目はホテルにてワークショップ。この日に受けたのはTeamwork and Presentation Skills Workshop(チームワークとプレゼンテーションスキル)とResilience Workshop(ヘルスケア)の2つだった。

話せない


 感想を一言で言ってしまうと、「話せない」。英語が話せない、というよりもそもそも「自分の意見が言えない」。これは私がずっと悩んでいることで、意見はあるのに言い出せなかったり、その場でぱっと思いつけなかったりすることがしばしばだった。でも他の多くの参加者は、流暢な英語で意見や質問をどんどん出している。何で何も言えないんだろう、とうじうじしている内にワークショップは終わってしまった。

1つ気が付いたことがある。発言しないことは、自分の意見が伝わらないことに加え、相手に(発言してる人に)責任を押し付けてしまうことになる。ワークショップの中で、「紙飛行機」にまつわるストーリーをグループで考え発表する、という面白いものがあったのだけれど、結局何も言わず他の人に任せてしまった。

発表のあと、自分のことをすごくずるい奴だと思った(あとからそう考えること自体が既にずるいのだが)。こうした場で相手に委ねるのは、自分は退いて安全なところから見守っているだけだ。

Shakeshackの注文

 話は変わって、昼食のことを。ランチはグループごとに自由だったので、ホテル近くのShakeshackに行った。私にとっては、英語で注文するのは初めて。店に入った時点で既に緊張している。

「Could I take~」(頼んだハンバーガーの名前は忘れた)と言えたところまでは良かった。でも、そのあとの店員さんの矢継ぎ早の質問が、聞き取れない!!!早い。これまでになく早い(私にとっては)。ああ、学校の先生はゆっくり喋ってくれていたんだなあと思いながら、ほぼテキトーに「Yes」「No」と返していた。そして極めつけが名前。商品の受け渡しの時のため名前を聞かれるのだけど、「Haruka」と言ったら「Is that your name??」と怪訝そうな顔をする。少々不安になりながら「Yes」と答えた。

案の定、商品を受け取った際にもらったレシートには「Karla」と書かれていた。どうしたら「Haruka」が「Karla」になるんだろう。友だちに言うと、「私は名前のスペル言ったよ」と返ってきて、そうすれば良かったのかと思う。 

当たり前だけれど、違う国に行けばあらゆることが違う。変わらないところも沢山あるけれど、やっぱり目に入るのは、慣れたものと違うこと。ハンバーガー屋で名前を聞かれることも日本ではあまりないし、シャワーのような身近なもの1つとっても日本とは違う(具体的に書くと、シャワーヘッドが固定されており、動かせないので使いにくい)。

「不便だ。日本だったら……」と思いかけて、違う違うと打ち消す。「私の国だったら」とか、「私の国と違うから変/不便」と考えるのは違うのだ。自分にとって慣れているものを心地いいと感じており、それと違うから違和感を覚えるだけなんだ。多分、アメリカでずっと育っていたら、動かせないシャワーヘッドも、形状の違うフライドポテトも当たり前のものになっていたのだ。


ワシントン1日目まとめ

 ワークショップで、「毎日、少し怖いと感じることに挑戦することが大切」とゲストスピーカーが言った。多分、アメリカにいる間に毎日何かしら挑戦することになりそうだ。でもまずは、ワークショップで何か一言でも発言しよう。そう思って1日目は終わった。

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