2023.6.27(火)湯がないと眠れない身体になったのかもという梅雨

せっかく日記なのだから、今見たものをきっかけに過去のことを振り返るような書き方よりも、今見て今思ったことを書いた方が良いのかもなと思い直しました、でも過去を振り返るって思考を辿りがちなのも自分の傾向なのだろうなと思います。何も考えずに書くと、自分の思考様式も滲み出るようです。

今日は銭湯に行って、帰りに猫を見る、いつもの帰り道の路面にあるバーによく住み着いている猫を時々見かけるので、ついつい近くを通りかかる時に探してしまう。今日はいるのかな。と思ったら、店の前の原付の上に上に香箱座りをしていました。猫は今日もすばらしい。

梅雨にしては暑すぎて、雨も降りそうで降らないです、じっとりした感じで、自転車で通勤しようとする気が全く起きないです、とはいえ電車も込み込みでううむと思う。

でもコロナ禍前の電車はもっとすごかったし、パンパンの稲荷寿司みたいだった。ドアは開いても人一人分も空いてなかった、自分という物体をなるべく流体にして、壁に自分を埋め込むようにして、通っていたあの時代が懐かしいとすら感じる。あれは人道的であるとはいえないと思う。とかやっぱり今の景色をきっかけにして昔のことを考えちゃうんだよな不思議である。

日記ってもっと今に専心した方が良い気がするかもしれない、雨の匂いがする、少しほこりのような匂い、アイスコーヒーが揺れている、先輩のお土産の博多通りもんがやっぱり美味しかった、とかとか映像の羅列。

最近眠りよりも銭湯を優先してしまってよくないかもしれない。睡眠時間より銭湯だ!ということで昨日もお風呂に行っていた午前1時、全然この時間でも銭湯は賑わっているし、最後の閉店の1秒までお湯に浸かっていたい、照明が落ちて暗くなる、でも湯船に最後まで浸かる自分、電源がオフになる、帳が落ちる、湯がないとリセットできなくなった身体なのかもしれない。

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