2023.10.20(金)音のなる街

今日は音楽のお祭りがある日。
昼下がりの通り道、下校していく小学生二人組とこれからステージに向かっているであろう、バンドメンバーがすれ違いざま、トランペット奏者のおじさんは、ふと楽器を歩きながら構えてアンパンマンマーチを数小節鳴らす、小学生はわっと顔をさらに明るくして、「がんばってくださいっ」と返してて、バンドメンバーは「お、がんばるぞ〜」「よーしよし」
と湧き上がる。


駅前の会場が公開のステージになっていて、かわるがわる演奏がされていく空き地隅の方に腰を下ろしサックスとピアノが戯れる音を聴く。

みんなで同じ場所で楽器の音を聞く体験は、自分たちの根源的な何がゆりうごかされる気がします。社会心理学者のジョナサン・ハイトも、著書の中で人間たちは9割は個人優位のチンパンジー的で、1割は集団優位のミツバチ的性質を持っていると述べました。その集団的な性質を呼び起こすのが、集団の中である儀式だったり、音楽だったり、同調的なふるまいをするという行為をすること、それが私という自我意識から私たちという自我意識へと切り替えるきっかけになる、と述べます。確かにそうかもしれないな。

夜、いつもの銭湯でお湯に浸かってると、隣に座った方が、「はーーー」とためいきをつきながら肩まで浸かる、わかる、寒くなってきた日に入る湯船ってためいきが出るほどにやさしい。

心を震わす音楽は、この湯船に入るためいきのような素直な感情が込められているように思います。

夜に再び訪ねた会場では、アルトサックス(チャーリーパーカーを敬愛している)、コントラバス、キーボード、ドラムの編成のジャズを演奏していて、リーダーであるサックス奏者が、昼に元気のいい奏者を見つけたんだ、といってステージに導かれる。こういう時はやっぱりすばらしい演奏が聴けるかも、と期待するのだけど(シカゴではそうして素晴らしいドラマーの演奏を聴けたのだ)やはり彼のサックスもすばらしい、ストレートでキレのある素直な演奏だった。まじめなんだろうけど、一生懸命で手持ちをすべてさらすような本当に熱のある素晴らしい演奏だった、自分の内臓から裏返すような演奏は、銭湯で聞こえるあの声と似ている。

祭りが夏に帰ってきて、音楽が街に戻ってきた、すっかり今年の秋のことも気に入っている。

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