親切すぎる人に感じる恐怖【追記あり】

先ほどとは違う知人の話です。


知人は親切な人です。というか、親切すぎる人です。


ある時、ある施設で(曖昧すぎて申し訳ないです)利用料金の支払いをしようとしたのですが時間の関係でお会計が閉まっていたので、お金はあるのに支払いができないという事態が発生しました。私と職員さんが「では支払いは後日で」という話をしていると、途中から話を聞いていた知人が「お金を立て替えようか?」と言いました。


私と知人はその日で会うのは2回目。そんなに親しい間柄ではないので驚きました。知人は私がお金を持っていないと勘違いしているようだったので、「違うんですよ」と説明しました。すると次は「お金を預けてくれたら、代わりに支払いに行くよ」と言い出しました。そこまでしてもらうような関係ではないので、断ったのですが、本当に親切すぎるんです。


でも最近、知人の親切すぎるというか、優しすぎるというか、他人に尽くしすぎるというか、寄り添いすぎるというかなところが怖くなってきました。何と言うのか、知人は手助けをしてあげていい部分とあえて手助けしない方がいい部分の線引きがないんです。


そして色々考えるうちに知人が「自分は機能不全家庭で育った」みたいな事を言っていた事を思い出しました。


心理や精神の専門家ではないので、素人考えですが、「他人の役に立って認められたい」という承認欲求が強いんだろうなという推測をしました。また知人がよくSNSに書いている「自分が経営している会社は伸びると思う」という強気な言葉も実は自信のなさの裏返しなのではないかと。


私は余計な一言が多いのですが、知人に「そこまで親切にしなくても」は絶対的なNGワードだろうから、口が裂けても言わないようにしようと思いました。そして「◯◯さんは本当に親切ですね」という言葉も病的な親切を加速させそうで言えません。とりあえず、知人のSNSには何もコメントせず、いいね!を押すだけにしています。


【追記】でもこうやって書いていると、頭の整理が付いてきて、あまり恐怖を感じなくなりました。人間は得体が知れないから恐怖を感じるんですね。
私は知人がやっている事は「実は人のためにならないのではないか?」とずっと考えていたのですが、たぶん知人は(本人はそう思っていないんだろうけれど)自分のためにやっていて、「人のためになる、ならない」は関係ないんだろうと思います。
なので、知人の事は「色んな人がいるなー」と思う程度に留めておきます。


※吐くほど考えて考えて得た結論がごく普通って発達障害者の私らしい(笑)

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