【受容の重要性】続・ゲームとして考えると

引き継ぎわかりにくい例え話です。


※Aさんから断片的に聞いた話を基にした私の推測が含まれます。


Aさんは必要以上に「ゲームのルールに従えない人」に同情をしてしまうところがあります。


私は以前Aさんから「自分はゲームのルールを全く覚えるつもりのない人たちがいる家庭で育ったんだ」と(ちらっとですが)聞いた事があります。


だからAさんは皆が家庭で教わるゲームのルールを自力で学習したのだろうと思います。そんな人がゲームの親になるためにはものすごい努力が必要だっただろうし、それは評価すべき点です。



でもAさんは努力して自分だけでルールを覚えて、ゲームの親にまでなったけれど、自分が「ゲームのルールを全く覚えるつもりのない家庭で育った」という事実を完全には受容できていない気がするのです。


物事を客観的に見るためにはまず受容が必要です。けれど、Aさんは受容が出来ていないから「単純にゲームのルールを覚えられない人」と「かつての自分のようにゲームのルールを覚える機会を与えられなかった人」の区別が付けられず、「ルールに従えない人」を見ると誰にでも同情してしまうのではないかと。


かと言って私は何の専門家でもないし、Aさんとものすごく親しい訳でもないから何とも出来ないんですけど。


以上、もしかしたら自分の盛大な勘違いかもしれない話でした。

よくわからない話に付き合ってくださった方、ありがとうございました。

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