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なんのために写真を撮るのか


先日参加した #Lovegraphキャンプ
撮りたい写真 いい写真 について考える機会があった。


なんとなく、自分の中で方向性が固まってきたような気がするからきちんと整理していたいと思う。


どんな写真を撮りたいか


今自分の中にあるのは、写真で
誰かを応援したり、幸せだなって思う瞬間を残したりするお手伝いがしたいってこと。

撮られた人たちが見返したときに、その時の光景や会話を思い出せるような写真
あたたかさを感じられるような写真
その人らしさが滲み出るような写真


こんな写真が撮りたいなと思ってる。


なぜ写真を撮るのか


以前別のnoteにも書いたけど、写真を撮り始めたきっかけは大学生の頃。
遊んでいるときに友達を撮っていたら、めっちゃ喜ばれたから。

でもよく考えたら根底にあるものは別のものだということに気づいた。


それは、祖父母の死が大きく関わっていた。
大学生の頃、私は祖父母を亡くした。
二人との別れは突然だった。

もっと話したかったのに。
もっといろんなところに連れて行ってあげたかったのに。 
これからもっといろんなことをしてあげようと思ってたのに。
それは叶わなくなってしまった。


二人との思い出を整理していた時に、ふと気づいた。
“大きくなってからおじいちゃん、おばあちゃんと写った写真がない”


その時私はデジカメを持ち始めた時期で、たくさん写真を撮っていたのに、家族の写真が全然ないってことにその時初めて気づいた。

なんで残してなかったんだろうってめちゃくちゃ後悔した。撮る機会はいくらでもあったのに。


それはどこかに「次も会える」というのが無意識にあったからだと思う。この前会ったのが最後、なんて思ってなかった。
でも、別れはある日突然来てしまうこともあるのだ。


そこから、帰省した時には毎回家族の写真を残すことにした。もう繰り返さないように。そんなこともじいちゃんとばあちゃんは教えてくれたのだと思う。


さっきまでは自分の話。
わたしがなぜ家族やカップル、友達の写真を撮るのか。
それは友達に言われた一言がきっかけだった。


保育園から付き合いのある彼女は、男の子のお母さん。
先日帰省をした時に、子どもと一緒に遊んでいるところを何気なく撮っていた。
わたしのためにご飯を作ってくれたり、いろんな場所に連れて行ってくれたりした彼女にお礼がしたかったので、撮った写真を送った。


その時、
「一緒に写っている写真があんまりないからすごくうれしい」と、とても喜んでもらえた。


彼女はシングルマザー
子どものめんどうを見ているだけで、時間が過ぎてしまって自分と写真を撮っている時間が少ない、と言っていた。小さいときは手もかかる。
二人の思い出を残したいと思っても、それはなかなかできないことだったのかもしれない。


彼女が子どものことを見ている時の瞳は本当に優しい。
大好きなんだろうな、ということが見ているだけですぐ伝わる。


だから、“幸せの瞬間をたくさん残したい”とその時強く思った。
わたしが撮りたい写真はこれだ、って。


つまずく瞬間はきっとどこかである。
でも、そんな時にこそ「なぜ写真を撮るのか」ということを思い出したい。


大事な大事な気持ちを。


今日も読んでくれてどうもありがとう。またね。


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