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シェアハウスじゃなくったって。


私は今、絆家シェアハウスに住んでいる。


関東にも関西にもあるので、シェアハウス探しをしたことがある人は、もしかしたら聞いたことがあるかもしれない。

私がこのシェアハウスと出会ったのは、ツイッターで当時まだ友だちでもなんでもなかった「セイゴくん」からDMが送られてきたことがきっかけだった。


「誰かいいシェアハウス知りませんか?」

決して有益ではないこのツイートに対し、セイゴくんが優しく返してくれたのを今でも鮮明に覚えている。


私がシェアハウスに住もうと思ったきっかけは、大学に行くために地元(兵庫県)から離れないと行けなかったからだ。

大学は京都、実家は兵庫県の姫路付近。

通おうと思えば通える距離だが、ソフトボールを続けながら電車で毎日往復4時間かけるのは至難の技だし、いくらなんでも効率が悪すぎる。


しかし、私にはもうひとつ問題点があった。

4回生の後期だけを休学し、残りの学生生活がたった半年だけだったことだ。

「残り半年」ということは、そもそも1人暮らしをさせてくれるお家が少ないかもしれない。

ウィークリーとなればかなり高くなる。

洗濯機、冷蔵庫、食器などをすべて揃えようもんなら何十万とお金がかかってしまう。


ソフトボールを思う存分させてもらい、さらに留学までさせてもらった両親にこれ以上負担をかけてはいけない…。

そのときに思いついたのが、「シェアハウスに住む」という選択肢だった。


絆家シェアハウスに住むことになった後も、正直こだわりはなかったし、「誰かと住みたい」という気持ちよりも、「安くて便利だから」という気持ちで入居した。

住む前は正直どのシェアハウスでもいいと思っていた。


シェアハウスに6ヶ月住んでみて。

シェアハウスって実は不思議な力を持っている。


その話をする前に、以前私が生活していた環境を伝えておく。

私がオーストラリアに留学前、3年半1人暮らしをしていた。

7畳の1ルーム。バイクを置ける場所、自転車を置ける場所もあり、学校もグランドも近く、とても快適だった。

にも関わらず、極度のさみしがり屋により、友だちの家にしょっちゅう泊まりに行っていた。

ひとりぼっちが耐えきれなかったのだ。

友だちも寝てしまっている深夜3時ごろに極度の寂しさに襲われたときには、1人で近くのマクドナルドや24時間カフェに行って、「人がいる空間」に浸った。

今思えば気持ち悪いほどのさみしがり屋だが、それくらい「誰かがいる空間」に居心地の良さを感じていた。


今住んでいるシェアハウスは満室になると30人くらいになる。

関東にもあるシェアハウスには、100人規模で住める場所さえある。

家に人が1人もいない状態はほとんどないに等しい。

そんな環境だ。


家に帰ると「ただいま」「おかえり」のあいさつ。

朝起きると「おはよう」のあいさつ。

ニューメンバーが来たらみんなで「いらっしゃい」。

メンバーが去るときはみんなで「行ってらっしゃい」。


正直、一緒に住んでいた人たちがいなくなると極度に寂しくなる。

こんなに寂しいなら住まなきゃいいのに。なんて思ったりもする。

でも私が住み続けるのは、シェアハウスじゃなきゃダメになってしまったからだ。


もともと入居したときは、別にシェアハウスじゃなくても住めたはずだし、寂しければカフェに行けばいいと思っていた。

でも、人の暖かさに触れたには、もうこのシェアハウスじゃなきゃダメになってしまったのだ。

きっと私も旅立つ日が来るし、これからも毎月のように人が入れ替わってゆく。

この悲しみを受け入れてでもシェアハウスに住みたいと思うのはおかしいのだろうか。


シェアハウスじゃなきゃよかったことが、シェアハウスじゃなきゃダメに変わるこの気持ちは、シェアハウスに住んだ人ならではの感情じゃないだろうか。


シェアハウスじゃなくったって。







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