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「子どもの最善の利益」を考えた関わりは、答えのない問いである

子ども最善の利益について考えてみた

保育や児童福祉に関わっていると「子どもの最善の利益」というキーワードをよく聞きます。というより、これをベースにいろいろなことを考えることが求められています。
では、この「子どもの最善の利益」とは何かやそれを実現する難しさについて考えてみたいと思います。

1.「子どもの最善の利益」の定義

「子どもの最善の利益」について考えるにあたり、まずは定義を確認してみたいと思います。
この言葉は「子どもの権利条約」に出てきます。

「子どもの権利条約」の中の「4つの一般原則」のひとつが「子どもの最善の利益(子どものにとって最もよいこと)」があり、その意味は
「子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最も良いことは何か」を第一に考えます」とあります。
つまり、子どもに関わるときには、いくつもの選択肢の中から、その子どもにとってよいと思われるものを選んで関わりましょうということです。
僕が思うキーワードは、関わり方をいくつも考え、選ぶことだと思っています。どうしても子どもと関わるときに、瞬間的に関わることが増えてしまうと思います。
そうすると、関わりは自分の子ども観や保育観、人生観などに偏ってしまいます。そうではなく、どういう関わりがいいのか一度メタ認知して関わりましょうということだと思っています。(でも関わりは瞬時に行われないといけないから難しいのですが・・・)

2.「子どもにとって最もよいこと」を決めるには、子どもと対話して決めていくことだと思う

子どもにとって最もよいことを考えることを関わりのベースにすることが、保育における「子どもの最善の利益」を考えることだと思いますが、そこで難しいのが、
その場で子どもにとってよい悪いがすぐにわかるものではないことだと思います。
どういうことかというと、今はよい関わりでも、子どもが成長したときに悪い影響が出る可能性もあるということです。

例えば、子どもが「ずっとゲームしたい」と訴え、ゲームができないと泣いて怒って気持ちが不安定になっているとしましょう。
そんなにいうならずっとゲームOKとすると、子どもの意見を尊重しているし、なによりも子どもの気持ちも安定するので、今現在では子どもにとって「よい」ことだと思います。ただ、将来的にはいろいろ問題が出てきそうですよね。例えば、視力の低下や勉強しないことによる学力低下、気持ちのセルフコントロール能力が育たないなど。
逆もあって、子どものゲームしたいを無視して、「ゲームはダメ」「勉強しなさい」などとすると、「(将来の)あなたのため」の関わりではあるけれど、今現在を犠牲にしていると言えます。
「子どもの最善の利益」を考えた関わりとは、子どもと一緒にお互いの思いや考えを伝え合って、互いに納得できるルールを考える(「1日○時間まで」や「ゲームをしたら勉強する」)などがあると思います。

3.子どもの言葉だけでは考えていけない点に注意する

ただ、「子どもの最善利益」をベースにした関わりを考えるときに難しい点があります。
それは、子どもの言葉は子どもの思いや考えを表現しているとは限らないことです。
まだ、言葉の発展途上にある子どもなので、自分の思いや考えを言葉でうまく伝えることができていないかもしれません。
保育者は子どもの本当の思いを汲み取ることが必要になってきます。
僕もよくここで失敗します。子どもの思いを聞こうと意識するほど、子どもの言葉に引っ張られて、子どもの本当の思いに気づけなかったり、言葉で表現すること(表現させること)にこだわってしまったり・・・
言葉が目に見える(実際は耳に聞こえるものですが)ものなので、目に見えない子どもの本当の思いよりも目立って見えてしまうのです。

4.「子どもの最善の利益」は、答えのない問いだと思う

つまり、「子どもの最善の利益」を考えると、
  ・よいか悪いかはすぐにはわからないことが多い
  ・子どもの言葉の裏にある目には見えない本当の思いを汲み取る必要がある
必要があり、それって答えがない問いを考えるのと同じことだと思います。
答えがないからといって、考えなくてもいいわけではもちろんなくて、
それぞれの保育者が自分の関わりを丁寧に考え、振り返っていく必要があると思います。
そのために必要な考え方の枠組み(フレームワーク)を次回の記事にしていきたいと思います。


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