見出し画像

【考え事】文化芸術と不要不急

昨今SNSでのタグでの声上げ、デモ、抗議などが増えた。
もともとありはしたけれど、コロナの影響でさらに増えた気がする。

今回の緊急事態宣言発令の際、文化芸術は生きるために必要です
というタグを見つけた。私自身もそう思う。
文化芸術は生きるために必要なものだ。

でもこのタグを見たときに違和感を覚えた。

私はイベント業界にいた。
最初は「不要不急」という言葉にいたく傷ついた。

私の仕事は不急だと、食べるためにやってきたこと、
多少なりとも社会の歯車として生きて、お金を稼いだ来たことは
不要だと切り捨てられたと思った。

この不要不急という言葉は、昨年の今頃、結構な影響を与えたように思う。
多くのアーティスト、芸術家、ミュージシャン、俳優、
様々なジャンルにおいて不要でも不急でもないという声があがった。
それはやっている本人たちからも、そしてそれらを支える
多くのファンたちからも。

私自身も近い友人からよくその言葉を聞いた。
ライブや観劇は不要不急じゃない。
生きていくために必要なものだと。

実際最初のうちはこういった抽象的な声を上げることは大事だったと思う。
焦点があたるのは表舞台に立つ人たちが多く、
例えば、音照さん、会場で働くスタッフ、警備員、設営舞台
運営企画を行ってるところ、チケット会社にはあまり話題にならなかったけれど、あの声で、そこに携わるたくさんの人がいることを知ってもらうことができたと思う。

タグへの違和感の理由。
気のせいでなければこの一年と数か月で
もう十二分に不要不急であることは伝わっているのではないかと思う。
便宜上、不要不急という言葉はつかわれるけれど、
いらないから止まれよ、などとは思っていないのではないかと思う。
他に、方法が、どうしてもなかったから今回の措置なのかなと私は感じた。

けれど、また叫びがあがった。
不要不急じゃないんだから中止の対象とするなと。
飛沫感染が原因ならば、観劇やイベントはやってもいいのではないかと。
もし止めるなら科学的根拠を示せと。

今、日本に広がっているのは
コロナウイルスと呼ばれているウイルスで
それには耳慣れたが、まだこのコロナウイルスについては
あまり大きなことがわかっていない。

しかもこの急激な感染の増加の背景は
変異株の影響があると言われている。
コロナだって、まだ出てきて一年と少し。
研究はすごいスピードで進められていたとしても
対抗施策の科学的な根拠を示すことは無理だろう。
これまでの感染対策では足らない可能性があるのに、
これまでクラスターを出してないから大丈夫なんて
どうしていえるのだろう。

だからこそ、人流を出来る限り止める必要がある。
ただそれだけのことで、それ以上のことが出来ないのは
政府が無能だからでも、医療体制が脆弱だからでもないと
少なくとも私は思う。

人流を止めるのに必要なこと。
どうか二週間動かないでくれと要請する方法は
そんなに間違っているのだろうか。
勿論止めないでいられれば一番いいのだけれども。
でもほかに方法がないのだから止める以外に仕方がない。
この中でどう生きていくか、具体的にどうやって
この状況を越えていくのか。

文化芸術はきっと消えることはない。
つぶされてしまうというのは個々の話で、
決してともしびが消えることはないと思う。
必要なものだから。


「私たちは必要だ」と訴えることより、この
目まぐるしくかわるどうしようもない状況下で
生き残るための具体的な話を訴えていってほしい気がする。
お金の話も運営の話も含めて、どうしたらいいのか。

生き残ってほしい。

日々を生きていく力にします。本当に、ありがとうございます。