2019/06/19 アップリンク吉祥寺で主戦場を見る

病院の用事を済ませて仕事終わりの池ちゃんと待ち合わせてアップリンク吉祥寺で主戦場を見る。
伊良コーラ、漢方のような味で美味しい。

想像していた以上に左寄りの意見を映画が保った作品で、これをただ飲み込むのも怖いことなきもした。でも事実として知らなかった、日本会議と否定論者と安倍晋三一族、入り組んだままほどけずに突き進んでいる日本の政権のヤバさがどうやばいのか描かれていて、見るべき映画ではあることだよと思った。ただこれを飲み込むような態度で見てしまったらこの作品がプロパガンダだって右派の人から非難されることがありえてしまうから、「自分の頭で考えることだ」と見ながらなんども思った。それでいて、その初めてちゃんと構造を知った、日本会議と安倍晋三一族の結びつきは恐ろしいことで、こんな最悪の倫理観がどうして日本を今動かしているんだ?その理由が単純であることによる主張の強さみたいなことだとしたら、単純であることで強さを出している主張が本当に許せない、他の場合でも毛嫌いしそう、と思った。
映画は、右派の頭が悪く見える人(発言が迂闊な人)を中心に内容が構成されていたけれど、凄く頭がいい右派の人がこの映画に出てきたらどう見えたんだろう?と思うのと、頭がいいと右派ではいられないのか?とも。中盤に出てきた途中でナショナリストではなくなった女性のように。それとも頭がいい人は思想を開示したら大多数の反発を受けるとわかっているから語らないのだろうか。語らずに知らせず、国民をだまして物事を進めていくんだろうか。
そんな真実ってあるのかよ。
あーよく眠れるねという映画ではないね、と話す。

主戦場とは関係なく、やらなければらばならないことがお腹と喉にたまってハカハカする感覚がひさしぶりにある。
ベトナムぶりかもしれない。というか、ハカハカするからそれらやらなければならないことが辛いものとして存在するのかどっちがどっちかわからない。体と心が本気で一心同体というか一心同体という言葉自体がそうで、心と体が一心同体になって自分自身に迫る。この場合の自分自身というのはどこに設定されているのだろうか?自由な意志部分?なんだかキビシイなというきもち。
展示のたびにだとか、何かの締め切りのたびに、こんなことを繰り返していてはたぶん病気になってしまう。それでいてやりたいことはたくさんある。プレッシャーに強くなることと、いらないプレッシャーを自分にかけないようにすることが肝要だ。そういう形での強さを手に入れないと、これからじゃんじゃん歳をとるにあたってやっていけなくなるだろう。

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