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御射鹿池への旅

恐るべきことに、この日記を書かなくなって三週間がたった。
理由はどうも悲しみが大きすぎて心の整理がつかなかったのと、その大いなる悲しみの中で忙しすぎた、ということがあったのだが、その心情と日々を書こう。

つまりこういうことだ。
母が八七歳になった。数えで米寿の祝いの信州旅行をしようと兄が提案した。母と兄と三人で旅行をする…、これは自分史上初めてだ。ここまでは良い。
問題は、兄が昨年暮れに三度目のがんの手術で胃を全摘したことだ。悲しみの原因は、多分血のつながった兄であると言うことと、がんであるということ、それも三度目の手術だということにあるのだろう。

母が八十八になるのは来年なのだから、何故兄は今年、わざわざ米寿の旅行を提案したのか…。自分の行く末について思うところがあるのだろうか…。そのことを考えると何か湧き上がるものがあるので、考えずにいるうちに旅行当日になった。9月7日のことだ。駅まで車で行って待ち合わせた兄は、最後に会った時より、二十キロ体重が落ちていた。頭が大きいという父方の血を引いた我ら兄妹の、その兄の身長は妹より十五センチも高いのに同じ体重になった。結果、なんだか子供のように見えた。

自分は駅近くの駐車場に一時車を停めて兄を待っていた。現れた兄の様子に胸を突かれた。駐車場だったことが幸いだ。ゆっくりとメーターまで歩いていき、ゆっくりと帰ってきた。その間泣くまいと思って歩いていた。
さて、車に戻った自分に兄は「『みしゃがいけ』に行こう」と言う。

かく言う自分も奇妙な肉体的病に取りつかれている。それは全頭脱毛症という病で、今回罹患して3回目になる。そのことを自分は本当に、屁とも思っていない。どうせこれから白髪になっていく頭なのだから、むしろ全部剃った方が堂々とウィッグを着けられて良い。

兄と自分とは病は異なれど、屁とも思っていないがために、人の同情が煩わしいという共通点があるように思う。
事実、当方の頭について触れたがる母に「あるがん患者が、悲しみ過ぎる母を、わずらわしさ故に絶縁したんだってさ、それが良く分かるんだ、自分は」と説明したものである。で覚悟を決めて旅を始めるうちに、中身は前のままの兄なので、まぁ肉体のことは本当にどうでも良いや、という気になった。

『みしゃがいけ』に行く途中、高速を降りて、やはり信州は蕎麦でしょう、ということで「勝山蕎麦」という蕎麦屋に名前が気に入って入る。(教会の兄弟の姓なのだ。)
周囲には蕎麦の花が広く咲き誇り、迫る近さに山がある。
「この近くにお嬢さんが嫁がれた友達がいるのよ」と母が説明する。お母さまは何もないところとおっしゃっていたそうだ。蕎麦の花と山とオニヤンマ・・・。これ以上の何が必要かという気もする。手打ちの蕎麦も旨かった。

旅行者をむしろ遠ざけるために、看板も何もない『みしゃがいけ』は、東山魁夷の絵に使われたとされる場所で、そのまま東山魁夷の世界だった。なんの造作もない。

水面に寄せる風が作る白い小さな波が、まるで空を舞う無数の鳥のような光景を作り出していた。白波が生き物になって動いた。右に行ったと思うと左に輪を広げた。それは水の上に繰り出された風の、静かな息の緒だった。

訪う人も少なかった。兄は義姉と先月ここに来たそうだ。

兄が今年旅行に行きたかったのは、GoToトラベルと勤め先の福利厚生の割引でなんと70%引きが実現するからだった。

ホテルのロビーで普段一泊12,000円のところがたった「三千円だよ!三千円」という兄の声が大きく響いた…。

To be continued…