学校とは社会の理不尽さに耐える勉強をするところではなく、社会の理不尽さに「抗う」勉強をするところだ

ブラック校則についての番組に出させていただいたり、いじめや不登校について思うことがあったり、学校について色々と考えることが増えたのでまとめました。

学校には、様々な「おかしいこと」があります。ありすぎます。怪我人が出ても続けられる組体操、親のない子どもの居場所がなくなる2分の1成人式、強制的に全員加入を義務付けられる部活、生理でも休みにくいプール、数えればキリがありません。学校があまりにもおかしいので、特にいじめられたりしていなくても、「学校なんて行かなくても良い」「自分の子どもを学校に行かせずに講演会等で活動させる」という風潮も、最近はちょっと流行りです。

でも、学校が変だから学校を辞め、会社が嫌だから会社を辞め、日本が嫌だから日本を出て行っても、その果てに誰もが、自分の理想の居場所に辿り着けるとは限りません。

社会は、人間の集団というものは、どこまでも冷たく、どこまでも理不尽。それを打破するには、永遠に集団に属さずにひとりで生きてゆくか、自分の居場所がより良くなるようにルールを見直し、時には勇気を出して「まわりを変える」ことも必要です。

今ある変なルール、必要のない規則をひとつひとつ見直し、問題点を洗い、全員に提示する。これは「自分のまわりの、小さな政治」のはじまり。社会に放り出される前に、子どもが小さな政治を行う練習の場が「学校」なんじゃないかなあ、と僕は思います。

社会から脱出し、フリーで生きているつもりでも、人は必ずどこかの集団に属しています。子どものうちに、自分の意見をまとめ、発表し、自分の学校を良くするにはどうすれば良いかを考え、どんどん学校で練習しましょう。

校則について思うこと

茶色い地毛を黒染めさせられることについて。
まず「校則」とは、学校での集団生活を円滑にするためのルールです。ですから規則として定めるにはみんなの為になるような、筋の通った理由がなければならないと僕は思います。なのでまず、何のためにその校則はあるのか?を考えてみました。毛染めについて、良く言われる理由は主に2つです。

1つめは、「学生の本分は勉強。おしゃれをして髪を染める暇があれば勉強に集中しろ」と言うもの。
本当に勉強の為ならば、理屈としては納得できます。でも生まれつきの茶髪を黒く染めさせるのは茶髪の生徒から見れば「勉強よりも、見た目に時間をかけるおしゃれ」になりますよね。なのでこの理由では、学校が生まれつきの髪を染めさせて良い理由にはなりません。
2つめは、「就職先である企業や、学校の外の社会が、黒髪は真面目で、茶髪は不良だという偏見を持っているので、生徒が頭髪で差別されないために指導しているのだ」というもの。
子どもの将来のためを考えた苦肉の策だとすると、分からなくもないような気がします。しかし、仮に学校や社会が「この国では、黒い頭髪こそ学生らしさの象徴だ」と定め、学生は全員黒い髪の毛にするように、と定めるのなら、その場合、「生まれつきの髪色のまま毛染めをしなくても良い生徒」と、「髪が伸びるたび頻繁に毛染めをしなければいけない生徒」の間では、美容院に通う時間や、家庭が負担する費用に大きな差が出てきます。これは不公平ではないのだろうか?と僕は思います。

毎月美容院で毛染めをすれば髪はボロボロになるし、肌の弱い生徒は毛染めで肌がかぶれたり荒れたりするので、更に皮膚科に通うこともあるでしょう。果たして学校に、それを強制する権利はあるのでしょうか。学校や社会が自分たち大人の偏見に合わせるために、未成年の子どもの健康な身体を痛めつけて頭髪を染めさせるのであれば、せめてそれにかかるお金ぐらいは学校が責任をもって、全額支払うべきです。髪の毛にかける費用が一部の生徒だけ自己負担になるのは、誰もが平等に学ぶ権利があるはずの学校として明らかにおかしい。よって、これも理由としては認められません。


あと「髪の色で人を見ることに違和感を感じなくなることは既に差別」だという問題もあります。

先ほども書いた通り、「黒髪は真面目で、茶髪は不良」という思い込みは、完全な差別であり偏見です。ちなみに昔は不良が金髪にしていて、そのイメージがあるからとの事なのですが、いまはかなりの人が髪を染めているし、毛染めは必ずしも不良の証ではありません。それに、生まれつきの日本人の髪は黒いと言われていますが、実際はそうでもないです。生まれつき茶髪の子どもはたくさんいます。僕も生粋の日本人だけど、生まれつき髪色が明るかったし、毛先はくるくるの天然パーマです。国際結婚も増えているので、髪の色も肌の色も、昔よりずっとバリエーションが豊富になっていると思います。
なのに、生まれつきの髪色で、勝手に素行が悪いと決めつけられる。だから不良に見られないように、黒髪にしなさいと言われる。
こんなことは、証明するまでもなく人権侵害であり、差別です。

皆さんは、白人の多いクラスで「あなたの肌は黄色いから、白人と同じ色に染めなさい」と言われたらどんな気持ちになりますか。生まれつきの自分の身体は醜いのか?劣っているのか?と、恥ずかしく思ったり、自分に自信が持てなくなったりはしませんか。

日本人は長年この異常な校則を続けてきたせいか、身体の個体の色による差別に対する感覚が、どこか麻痺していると感じます。
いま学校がしていることは、黒人や黄色人種の肌に漂白剤をかけて「白い肌じゃないなら学校に来るな」「お前たちは、生まれつき白い肌の人間より劣っているのだ」と言っているのと同じだということに、早く気づいて欲しいです。


「ツーブロック禁止」「ポニーテール禁止」について
これもまず、その校則が出来た「理由」を考えてみました。
勉強の邪魔になるから髪を結ぶように言われたり、後ろの人が黒板が見えないから、キャバ嬢みたいな盛り髪とか、バカでかいアフロが禁止!というなら分かる。なので、「他人の迷惑にならない、勉強の邪魔にならない髪型にしましょう」という校則ならあってもいいと思います。
でも、ツーブロックかそうでないかでは、髪の毛自体の長さも変わらないし、誰にも迷惑をかけていません。それに、おさげ髪だろうがポニーテールだろうが、邪魔にならないように結んでいることには変わりがないです。じゃあ、なぜダメなのでしょうか?実は、これらの校則は、「ガキのくせに色気づいてんじゃねーよ」という、いやらしい大人の嫉妬でしかないのではないでしょうか?

実際にポニーテールが禁止の理由を「男子が興奮するから」と言っていた学校がありました。でも、それがもし本当なら、女子に髪型を変えろというのではなく、先生方は男子の側を指導するべきなのです。

それに、そんなにポニテに欲情する男子がいたという話も聞いたことがありません。そのような男子は、ほぼ大人たちの妄想の産物ではないのでしょうか。ぶっちゃけ生徒の首筋をみて「男子が興奮するかも・・・」と、そんな妄想をしている大人たちの方が、よっぽどいやらしくて気持ち悪いので、今すぐにでも取り締まって欲しいと思います。


校則を守ることの意義とは
学校は勉強をしに行くところです。なので、授業中に走り回らないとか、いじめをしないとか、学習の妨げになるようなことを禁止する校則は、マナーとしてあっても良いと思います。
でもいまある校則は、それを守らなくても、勉強や学校生活になんの支障もないものばかりです。どちらかというと、良く分からない「学生らしさ」という、大人の理想の子ども像を演じることを押し付けられているような校則ばかりが増えているような…

そもそも、「子どもらしさ」や「学生らしさ」というものが大嫌いな僕は、ほとんどの校則が必要ないと考えています。「らしさ」って何だろう??制服を着て白い下着をはいたからって、そのぶん成績があがるわけでもないのに。大人の好きな子どもらしさを演じて、大人に媚びるために身なりに気を使う暇があったら、その時間で勉強や、部活や趣味や、他のことをした方がよっぽど有意義な学生生活が送れるんじゃないかな。

どうしても校則をつくりたいのなら、服装とか髪型とかどうでも良いようなことではなく、「いじめをしない」を最低限のルールにして欲しい。
いじめは他人の「学ぶ権利」や、「人権」を侵害する、最もやってはいけない行為です。むしろ、いじめたりいじめられたりせず、他者の人権を尊重し、みんなが学校という集団生活を円滑に行えている学校があるのなら、服装も髪型も、その他のことなんて本当に、どうでもいい些細なことです。


知っている変わった校則
「男女交際禁止。校内で異性と会話する場合は会話用紙を提出し許可をもらい、会話室で会話をする。」なんか逆にえろい。そういうプレイか
「スイカ盗んだら停学、メロンなら退学。屋上から双眼鏡で教師が常時見張ってる」ツイッターで見ました。盗む罪は変わらないのに、値段でスイカとメロンが差別されている笑
「校則はないし服装も自由。下駄だけ禁止。下駄で転んで頭を打つと、優秀な頭脳が危ないから。」これは某高偏差値な高校で、うちの親が説明会で聞いてきたやつです。おもしろい。


下着の色検査について
白い下着の校則の学校って当たり前のようにたくさんあるけど、本当に気持ち悪いです。何で好きでもない他人にそんなこと教えなきゃいけないのだろう。先生に下着の色を言わされたり見られたりするとかゾッとします。白だろうが赤いふんどしだろうが、普通その上にスカートはいてるんだから誰にも見えないし、風紀も乱していないはずなのに。
そもそも『白い下着こそ清楚で高校生らしい』ってイメージがおじさんの妄想する女子高生って感じで気持ち悪いし、下着の色を他人に教えることの方がよっぽど高校生として、はしたないと思うのですが。

下着が白であることよりも、下着の色を聞かれたり言わされたりする行為そのものがいやらしいし、恥ずかしい。女として、家族でも彼氏でもない人にホイホイ下着の色を教える女子にはなりたくない。というか、逆に教師は『他人に下着の色を聞かれても教えてはいけません』って指導するべき立場の人間なのでは?

ちなみに、白がいちばんブラウスに透けるという実験結果も出ています。それを考えると、むしろ、白がいちばんいやらしい。笑
あと個人的な疑問としては、白の紐パンVSお腹まですっぽりベージュの腹巻きパンツでは、やっぱり白がOKでベージュが校則違反になるのでしょうか。どうなんだ。


男性教員による下着の色検査があるところもあるらしい。ただの性犯罪では?下着姿を好きでもないおじさんに見せなければならない学校って何だろう。人権侵害もはなはだしい。もしやられたら慰謝料をがっつり請求したいです。

制服の着崩しについて
鞄やマフラーや靴下まで指定の学校は、その組み合わせをデザイナーさんが考えて、いちばん似合うようにコーディネイトしてくれているので、正装として揃えるのは良いと思います。
でも学校は毎日通うものなので、毎日が正装だと少し窮屈かなー。その日の気温によって、自由に体温調節もしたいです。さっきも書いたけど、揃えるのは式典のときだけで良い。卒業式などの式典や、TPOにあわせた正装が必要なときじゃなければ、それぞれが動きやすいように着ればよいと思います。


制服そのものに関しては、僕はあっても良いと思っています。指定の服装が決められていることで、生徒同士の貧富の差が出にくいという利点があるからです。僕は制服のない高校だったけど、おしゃれな子と、私服がダサい子の差がはっきりと出てしまっていたし、毎日服を選ぶのが大変でした。
指定のものがあれば、少なくとも学校にいる間はみんなが平等で、差を感じなくて済む。僕はほとんどの校則は必要ないと思っているけど、給食や制服など、みんなと同じにすることで、家庭環境による差がみえなくなるものは、良いところもある。


ただ、制服や体操着って本当に高くないですか?あんなに高いものを、全員で買う必要はないのでは?せっかく差がつかないような同じデザインなのに、お下がりのつんつるてんの制服を着ているとすぐにバレるし。だったら経済的に苦しくてもお下がりの制服をもらうより、安い古着をオシャレに着こなした方が精神的には全然いいのかもしれないよね。

ここからは独り言。学校の体制や校則について何か意見を言うと

「学校は社会の理不尽さに耐える勉強をするところだ」
と言われるのですが、

僕は
「学校は社会の理不尽さに抗う勉強をするところだ」
と思っています。

でも、むしろそういう「抗う」って経験は
変な校則が全然ない、素晴らしい学校では出来ないんですよねー。笑

だから、今ある変な校則も
大人が議論して先回りして、無くしてしまうのも何だか違うかなーと。
学校は子どもたちの成長のための、小さな社会。
今おかしいなと思うものは時間をかけて、子どもたち自身で無くして欲しいな。

(おすすめ記事)「半ズボン禁止の校則はおかしい 男の子たちがスカートで登校 30℃を超える猛暑でも長ズボン着用を義務づける校則に、男子生徒が抗議」https://www.huffingtonpost.jp/2017/06/22/boys-wear-skirts-to-protest-school-no-shorts-policy_n_17263880.html

偏見と差別のかたまりの時代錯誤な校則も大人がなくしてしまうのではなく、子供自身があれ?と疑問に感じ、声をあげ、立ち上がり、仲間を募り、学校と闘い、変えていく経験をして欲しい。

最初から与えられた自由より、理不尽なミニ社会と闘って自分たちの手で掴み取った自由は、きっと学校を出て外の世界を歩いてゆく上で

何ものにも変え難い自信溢れる宝物となるはずだし、

そうやって自分たちの居場所を
「抗い、変えてゆく」人たちが
これからの社会を良くしてゆける、と思うのです。


春名風花🌸



おまけ

例えば宿題をやりたくないことを訴えるのなら、なぜ全員が同じ宿題をやらなくてはいけないことになっているのか、なぜ先生がそういう指導をしているのかを考え、「自分にはその宿題が必要ない」ということを理論立てて考えて訴えるとか。僕の弟は宿題をやらないしノートも取らないけど、宿題ではない勉強はして成績は伸びていて、そのうちに親も根負けして宿題をやらせることをあきらめてしまいました。あまり参考にならないかもしれませんが、話し合うのが面倒なので結果を出して黙らせる、そういう強硬手段もありますね。笑

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春名風花

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コメント9件

多分、多分ですよ?
学校に携わる大人たちは校則が必要かどうかを考えてないはずです。
なぜなら校則を変える必要性に迫られていないから。
生徒は嫌だなあと思っていても行動しないから、その嫌と言う事実を問題視するきっかけがない。
仮に行動する生徒がいたとしても組織というのは変わることを拒むように出来ている。
なぜなら、組織を構成する大人たちを生徒と一緒に説得してもその大人にはビタ一文得にならないから。

その校則が本当に嫌なら、変えるためには、変えることによるメリットか、変えないことのデメリットを大人にプレゼンしなければいけない。

でもそんなことをできる子供はほとんどいない。

かくして学校は変わることがとても難しいのだと思います。

正しくないから変わる組織はありません。
組織は得するか損しないためにしか変わらないのだから
私も校則は理不尽で下らないと思っていました。
私の時代は教師による激しい体罰が当たり前だったので、抗うこともできませんでした。

私の子どもは制服のない高校に進学しましたが、派手な格好をする子も道徳に反する子もいませんでした。
そして高い制服を買わずに済んだので、経済的にも大助かりでした。

はるかぜちゃんのような聡明で勇気ある若者がいることは、この国の未来に希望の光を感じます。
きっと何事にも理由があるので、各校の校則の内メリハリの強いものを集め、そのあらましを調査して、ツッコミ芸人の皆さんが品評するという企画はどうでしょう。
まさしく今現在の児童・生徒が、目の前の状況への手続きを学んでいく経験は、とても有意義だと思います。

まあその先の選択は、今現在の児童・生徒にお任せしましょう(笑´∀`)

学校の教育内容は知育や体育だけではなく、もう一つ、生活態度があります。学校が科目授業と共に行事や課外授業を行うのは、そのためです。

例えば、授業や行事への取り組みを通して総合的な生活態度を身につけることは、学校生活による全体的な道徳教育というわけです。

追伸:私自身はまかり間違って校則を作れというんでしたら、いくらでも応じますけどね(笑´∀`)
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