卵の殻を破らねば

少女革命ウテナに「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛だ。卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命する為に」というセリフがあります。

また、ウテナファンのバイブルと名高いヘルマン・ヘッセの「デミアン」という本では「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」と言う言葉が出てきます。

啐啄同時、という言葉もあります。(啐啄同機という場合も)「啐」は、鳥の赤ちゃんが卵から産まれようとするとき、殻の中から卵の殻をコンコン!とつついて音を出すこと。「啄」は親鳥がその気配を察し、外から殻をコンコンとつついて小さな穴を空け、卵の中にほんの僅かな光を入れてあげることです。
「啐」と「啄」の息がぴったりと合えば卵の殻が破れ、雛は外の世界へ出ることができますが、それが早すぎても遅すぎても、雛は死んでしまいます。

元は「師と弟子の呼吸がぴったり合った瞬間、はじめて悟りは開ける」という意味の禅の言葉なのですが、その意味から、子供をいつ家庭から社会に出すのが良いか?という意味でも、広く使われるようになったそうです。

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「雨が降る日は学校へ行かない」という短編集を読みました。帯の文は「学校に溶け込めなかった、すべての人へ。」
中学生の女の子達が学校という小さな箱庭の中ひしめきあい、スカート丈等のくだらなく些細なスクールカーストに悩み
互いの違いに傷つけ合い、戸惑い、もがき、時には不登校や保健室登校になったりしながら「どうして、学校に行かないといけないの?」と問いかける物語です。

「どうして、学校に行かないといけないの?」

この短編集は、私達子どもの共通の悩みと葛藤をとても繊細に刹那的に描いたものであり、多くの小中高生たちの共感を呼んでいます。

学校は、人間のヒナである子ども達が最初に出会う「外」。ヒナたちは、殻を出てもまだひとりでは巧く飛べないので、また学校という「少し大きな卵」に入れられます。すぐに羽根が生え揃い、うまく適応できるヒナもいれば、飛べずに戸惑うヒナもいる。

雛鳥たちを教え導き、弱肉強食の「厳しい自然界」で生きていけるようにするのが先生達なのですが、どんなに教育熱心な先生であっても、寝食忘れて卵を抱く母鳥と同じようには、惜しみない無償の愛情をかけることは不可能。
そして集められたヒナたちもまだ未熟なので、それぞれが社会性もないまま自我を通し、我侭を言い、自由に動き回り、思った事を言ってしまうので、さんざん傷つけあってしまいます。当然どの学校でもどのクラスでも、馬鹿みたいにたくさんいじめは起こる。悲しいことですが、そんな中、傷ついた子ども達がひとりふたりと学校を去り、また「卵の中の世界」に帰ってしまうのです。

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本来、学校とは小さな社会だったのだと思います。まだ社会が対人関係で成り立っていた頃、子供だけの小さな社会で疑似体験をすることで、私達は隣近所と助け合い、より豊かに生活を営むことができたのだと思います。

けれど今、社会はインターネットひとつで何でもできるようになりました。

しかも、すぐに独り立ち羽ばたかないと死んでしまう小鳥とは違い、人間は食物連鎖の頂点にいて、知恵もあります。私達人間は、そんな悠々自適な生き方でも、もう死んだりしません。
ぶっちゃけ、社会性なんてなくても、ビジネスに対する才覚や、他人から与えられる財産さえあれば、他人や社会と関わらず、一生を終えることも可能です。

我々人間は、「永遠に篭っていられる卵の殻」を開発しました。

人間は、知識とお金と権力さえ手に入れられれば、一生誰かに甘え、誰かに寄生し、誰かに守ってもらう立場で生きていくことができるようになったのです。

だから、もう学校で集団行動を学んだり、
無作為に選ばれた人間関係にぶち当たり、他人との距離や思いやりを手探りではかることも
少しずつ他人を知ってゆくことも、今は完全に時代遅れであり、言ってしまえば不必要なのかも知れません。

実際学ぶ意欲さえあれば、情報なんていくらでも手に入る。
自宅でPCさえ操れて、ほんの少しのセンスさえあれば、私達は学校などに行かなくても、もうじゅうぶんに生きていけるのです。

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けれど、少し恥ずかしい。

鳥たちは本能で知っている。
いつまでもそこにはいられないこと。いま、この卵をあたためてくれている母鳥は、自分より先に死んでしまう。
育ててくれる誰かがいるうちに、この安心できる世界を自ら破壊し、厳しい外へ出なければ、次第に身体は大きくなり殻は割れ
誰もその身をあたためてくれる者も、餌を運んでくれる者もいなくなり、自分もいつか死んでしまうのだということを。

次の命を遺すため、傷つきながら大人になり、大空へと羽ばたいてゆく。
その姿の、何と美しいことでしょう。

きっと本当は私達も、本能でそう知っていたから、居心地のよい世界を自ら壊し生まれてきたのです。飲まず食わずで卵をあたためつづけた母鳥のようにたくましく、危険をおそれず何度も餌を運び続けた父鳥のように勇敢に

今度はまた自分が、新たな可愛い卵たちをー誰かを守れる大人になるために。

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なぜ学校に行くのか?自分だけが楽しく快適に生きていくためではない。好きな人と好きなことだけして生きていくためではない。それだけが目的なら、学校なんていらない。

人を知り、人を学び、考え方の異なる人や、思想の異なる人、育ちが違う人、障害のある人、意思の疎通が困難な人・・・
いろいろな人を知り、実際にその手で、その目で、いろいろな人に触れ、それらの人々がひしめく社会の中で「自分とは何か」を考え、ぶつかり、悩み、絶望し、磨かれ、
「自分はこれだけは負けない」というものを見つけ
大勢の中で、わたしは他の誰でもなくわたし自身なのだと誇りを持って生きていくために、私達は凛々しく学校へ行くのだと思う。

学校には、自分を「子供だから」と無条件に受け入れてくれる大人や、自分を愛してくれる親がいない。そこにいるのは自分に優しくない、優しくするメリットもない、見知らぬ対等な小さな人間たち。しかも自分を含め、善悪の判断もおぼつかないような未熟なやつばかり。

学校は「自分とは何か」を考えるには最高の環境です。

だから、意味なんてなくとも、その「問い」を持つ者は行った方がいいと思う。この先どんなに自宅学習システムが発達して世の中が便利になっても、わけも分からず混沌とした集団に放り込まれて必死にもがく価値はあるし
笑われ叩かれもみくちゃにされても、社会の激流の中で生きていく意味だってあるんじゃないかなあ。

卵の殻を破る勇気。生きていく勇気。拒絶される勇気。馬鹿にされる勇気。笑われる勇気。
けんかして傷つけあって、悩んで励ましあって支えあい、みっともなくても生きていく。それらがきっと、私たちの誇りになる。

暑くて寒くて冷たくて非情で乱暴なこの世界で、明日も凛々しく生きていこう。

傷つくことをおそれずに。

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コメント7件

フォロー外から失礼します。
つまりこういうことでしょうか。
https://goo.gl/duku9E
失礼しました。
爆弾スイーツさん リンクみえないですー
失礼しました。カタツムリの画像でした。
傷つくことも、きっとその人には必要なことだから起きたんじゃないかな。傷つけ、傷つき、傷つけ合いながら生きている。それは生きることそのもの。
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