マダム ハルコ

パンデミック中にたまたまこのヴェルディの評伝に出逢いました。オペラは好きでよく観に行き…

マダム ハルコ

パンデミック中にたまたまこのヴェルディの評伝に出逢いました。オペラは好きでよく観に行きましたが、彼の人生については全くNo Ideaでした。とても感激して、翻訳したくなりました。最後に著者も書いていますが、彼は偉大な人間です。私も同感で、それで私は題に「人間」をつけ加えました。

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  • 人間ヴェルディ

    彼の音楽と人生、そして その時代

  • 萩原治子の「この旅でいきいき」

    アメリカでキャリア・ウーマンを20年。退職後、食文化を中心に著作生活に入り、現在は世界を飛び廻る旅行家として活動中。 歴史、文化、芸術、料理に至るまで、旺盛な知的好奇心で世界を見つめます。ニューヨーク/マンハッタン在住。

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人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (19)

著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 予想通り、1849年2月9日、ローマ市の人民議会は、法王領の政府体制は憲法に基づいた共和党政権で、ローマを首都とすると宣言した。議会ではこれを実現させるために、法王の複雑な政治的権利を無効にする決定で乗り越えた。将来、牧師や司教や法王自身も、もしローマに戻りたいということであれば、そのときは彼らも、他の市民と同様、一人一投票権と定め

    • 人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (18)

      著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 パリに戻ると、ヴェルディは初めて、ストレッポーニと同じ屋根の下に住み始める。夏の間、彼らはパリ郊外のパッシーに庭付きの家を借りる。1867年にストレッポーニがマッフェイ伯爵夫人に書いた手紙に、郊外に家を借りることは彼女のアイディアだったと書いている。彼女は庭いじりが好きで、それに静かな環境はオペラ作曲中のヴェルディにとっても、静養に

      • 人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (17)

        著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ヴェルディがミラノに戻った1848年4月頃の、政治的攻略の駆け引きは苛烈で、深刻だった。「あの5日間」中に、マンゾーニを含むミラノの政治的リーダーたちは、ピードモント王国のカルロ・アルバート国王へ援軍要請の嘆願書に署名をした。それは現実の中、常識的な方向だった。ラデッキーの軍をミラノから追い出したといっても、その存在が消えたわけでは

        • 人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (16)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 パリとミラノ、1848年という年 1847~1848年 33~34歳 ロンドンでの「マスナディエリ(群盗)」初回公演の2日目の後、ヴェルディはパリに向けて出発した。その時ラムリーから女王閣下劇場の音楽監督にならないかという申し出を受ける。給与はイタリアの標準から見ると莫大な年間6万リラで、ラムリーはさらにアパートと馬車を提供する

        人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (19)

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        • 人間ヴェルディ
          18本
        • 萩原治子の「この旅でいきいき」
          13本

        記事

          人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (15)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 オペラ「群盗」初演のためにパリ経由でロンドンへ( 1847年 33歳 ) ロンドンで予定された「イ・マスナディエリ(群盗)」の初演は、ヴェルディにとって、最初のイタリア国外の初演公演だったので、彼自身、いつも以上の興奮ムードに浸っていた。ロンドン市にとっても、初めてイタリアン・オペラの巨匠を迎えるという同様の熱狂的ムードがあった。

          人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (15)

          人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (14)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ご挨拶: いつもご愛読いただき、ありがとうございます。 この10月10日はヴェルディの誕生日で、生誕210年となります。 また私にとっては、この連載を始めて、ちょうど1年になり、お祝いしています。まだこの先は長く、かなりの月数が必要です。今後共よろしくお願い申し上げます。  オペラ創作のビジネス面と「マクベス」 (1846〜18

          人間ヴェルディ: 彼の音楽と人生、 そして その時代 (14)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (13)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ガレー船(苦役)時代、その2(1845 - 1846: 31歳から32歳) 1845 年の冬は問題が多かった。ヴェルディ自身の演出による「エルナニ」公演というスカラ座からのオファーを断った理由のひとつは、ナポリのサンカルロ劇場との新作オペラの作曲と演出の契約がすでに入っていたことがあった。初演は6月に予定されていた。時間はすでに十

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (13)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (12)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラ確立期 ガレー船(苦役)時代、 その1 (1844―1845 : 30歳から31歳) ヴェニスでの「エルナニ」の初演大成功の後、ミラノに戻ったヴェルディは、その後「ガレー船時代(苦役ということ)」と自ら表現した時期に入る。1839年の「オベルト」初演以降、彼は毎年1作のオペラを作曲してきた。不幸な結果になった第2作目の「一日だけの王様」

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (12)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (11)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第二部 ヴェルディアン・オペラの確立期 ヴェニスと「エルナニ」 (1843―1844: 29歳から30歳) 「ロンバルディア人」の後、次の新作オペラ作曲を、ヴェルディはヴェニスのフェニーチェ劇場と契約した。フェニーチェ劇場は当時、そして現在も、イタリアで最も重要なオペラ・ハウスの一つ。カルロ・モチェニゴ伯爵が率いる理事会は、1843~1844年のカーニバル・シーズ

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (11)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (10)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 この本で著者、ジョージ・マーティンはヴェルディの充実した87年の生涯を41章に亘って綴っていて、それを4部に区切っています。それぞれの部に副題はありません。私がつけるとすれば、第一部は「おいたち」と「初期」。今回始める第二部前半には「ヴェルディアン・オペラ確立期」にしたいと思います。 第二部 ヴェルディアン・オペラの確立期    ミラノの新しい友人たちと「ロンバルディ

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (10)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(9)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 本人が語った「ナブッコ」初演までの様子 ヴェルディは一生涯、自分と周りの人々のプライバシーを厳しく守ってきた。彼が68才の時、ベルリーニの生涯に関する記事を送ってきた友人に、「なぜ、音楽家の手紙を掘り出して、とやかく書くのか?音楽家の手紙は常に急いで、簡潔に、気遣いなしに書かれ、さらに何が重要かも示していない手紙が多い。それは音楽家は作家として名を残そうなど、

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(9)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(8)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 第8章:当時のオペラのスタイルと、 「一日だけの王様」 1839~1840年;26歳 オペラ・シリアとオペラ・ブッファの違い メレッリとの新しい契約の下で、ヴェルディは喜劇オペラ、オペラ・ブッファではなく、深刻オペラ、オペラ・セリアが求められていた。1840年ごろにはまだはっきりと定義が決まっていない新しいタイプだった。ナポレオン時代とその後の政治的、社会的

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(8)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(7)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 ミラノでの戴冠式と「オベルト」の初演 (1838〜39年;24〜26歳) 政治的背景と戴冠式の意味 ヴェルディとマルゲリータは戴冠式の週の真ん中にミラノに到着した。オーストリア帝国の皇帝、フェルディナンド1世はロンバルディア・ベネツィア国の国王として、ミラノの大寺院で、自ら王冠を乗せるために来ていた。その祝賀行事は絢爛豪華なものだった。ヴェルディがバレッツィに

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(7)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(6)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 目次 第5章:音楽長のマエストロ ヴェルディ、マルゲリータと結婚! ヴェルディが音楽長職を獲得したことで、すぐに実現された慶ごとは、マルゲリータとの結婚だった。1836年4月16日、市長室で彼女の両親とヴェルディの父親の前で、二人は結婚の意思を宣誓した。彼の母親は記録によると、病気で出席できなかった。3週間後の5月4日、彼らは結婚式を挙げた。両人とも御歳2

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(6)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(5)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 目次 第5章:ブセットの音楽長職の後任選出が引き起こした抗争 町の政治的分裂 それまで何年にも亘って燻っていたことだが、プロヴェージの死は、ブセット町に突如として音楽長の後任者問題を引き起こした。もし、彼の死がもう2年遅く、ヴェルディがミラノでの勉強を終え、ラヴィーニャから輝かしい卒業証書をもらった後だったら、そしてプロヴェージの有能なアシスタント役として

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そして その時代(5)

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (4)

          著者:ジョージ・W・マーティン 翻訳:萩原治子 出版社:ドッド、ミード&カンパニー 初版 1963年 第一部 目次 第4章: ミラノ市 ミラノ市はオーストリア帝国直轄王国の首都 ヴェルディが初めてきた1832年のミラノ市は、北イタリア地方で一番繁栄した、そして最も重要な都市だった。ロンバルディア・ベネティア王国の首都で、国王はオーストリア帝国の皇帝、フランツ1世だった。彼はミラノ在住の帝国総督を通して治世した。その高い格式により、ミラノはルッカ公国とか、近隣のパル

          人間ヴェルディ:彼の音楽と人生、そしてその時代 (4)