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「捨てられない」の気持ちに隠れていたのは

夫が朝から
「ねぇ、電卓持ってたりしない?壊れちゃって」と聞いてきた。

夫はあまり人を頼るタイプじゃないから、こういう小さなことでも聞いてもらえると私は嬉しい。すぐに使っていない電卓が思い浮かんで、あるはずの場所を探した。

だけど、あるはずと思っていた場所に、ない。
あそこかな。ない。

あれ、、ない。おかしい。



転勤族で引っ越しも多いので、モノの数はだいぶ減らしたし、探す場所も多くない。「ミニマリスト」と言えるほどではないけれど、我が家はモノが少ない方だと思う。なんでないんだろう。


結局、夫の数少ない所持品をしまっている箱を何となく開けたら電卓が出てきて解決となった。
「電卓買おうかなって思ったんだけど、ラッキー!あってよかった~」
夫はさっそく電卓を持って仕事に出かけた。



私の電卓はきっと、引っ越しついでに何かで捨てたんだろうな。



仕方ないと思いつつ、この電卓捜索をきっかけに
だいぶ片付けたのにまだモノの場所を把握できていないなぁと感じた。そして、探すついでに必要なさそうなものを目にしてしまって、、気になったのでそのまま片付けをすることにした。


片付けると言っても、家の中は明らかに必要ないものがたくさん詰まっているわけじゃない。その段階はもう終えている。


今家の中にあるほとんどのものは、

たくさんのものを手放したけど、これだけは捨てられない

そういったものだけ。
(中にはさ、増えてしまったモノもあるけれど)

今回目に入ったモノは、
残しておいた手紙とか、仕事でもらった表彰とかでした。


別に残していてもいい。
捨てなきゃいけないわけではないモノたち。

だけど、思いきって処分しました。



手紙は、捨てたら薄情かなぁと思ってなかなか捨てられなかったんですよね。よく考えたら、捨てたからって薄情になるわけでもないのに。

残しておいたって、私の場合はたくさん読み返すわけでもない。しまったままで、触れることも少ない。その状態が「大切にしている」のかと問われたら、そうじゃないと思うから。それなら、「ありがとう」と思って捨てしまいました。



そして、今の仕事をはじめて2年目、初めて表彰されてもらった仕事道具。

働く店舗が変わったから身に付けることがなくなって、そのまま6年間ずっとしまったままでした。使わないのに、片付けるタイミングもたくさんあったのに、なんか捨てられなくて。


6年間の「なんか捨てられない」


捨てちゃったら、私の価値がなくなっちゃうような気がして。あのときの頑張りがなくなっちゃうような気がして。そんな気持ちがあったなぁ。


だけど、久しぶりに手に取ったら「もう大丈夫」しか出てこなくてあっさり捨てられました。ビックリ。

私が今の仕事をやめるから気持ちに踏ん切りがついたのもあるかもしれないけれど、「もう大丈夫」は

私だったら大丈夫


が心の中にあるからだなぁと思う。
何かがなくても、なくなっても
私がいたら大丈夫。 その気持ち。


だんだんとモノを少なくして、
モノが少なくても生きていけることを
この数年で実感したのもあるんだろうなぁ。

人間そんなに1つの身体で
たくさんのものを大事にできるわけでもない。


あんなに、捨てられなかったのにな。

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