8億8000万回の呼吸
父が他界しました。
1日約3万回の呼吸というから計算したら、赤子から今日迄約8億8000万回呼吸した。生命力を感じる。
朝、痰が絡んでいたから吸い取ってもらって落ち着いてて、お昼に様子を見にきたら心拍数が少なくなっててそのまま眠るように停止したようです。
父は明るくて活発、ギャグをどんな時も言ってしまう、カラオケと運動が好きな、いかにもな下町おじさん。
銭湯が好きで、管理してる風呂なしアパートおじさん達と仲良く銭湯を楽しんでた。
メダカを育ててて、子ども達が興味津々に覗くとメダカの講義をしはじめ、メダカの先生!と慕われていた。
会社員をして結婚し不動産屋をして子2人孫3人、妻(母)他界18年前は早かったけど、大往生で生き抜いた人生を尊敬します。
パーキンソン病で要介護5の最重症でした。
パーキンソン病は、老化じゃない?と放っておくうちに進行してしまい、早期発見が必要な病気だなと改めて思う。
はっきり分かったのは5年前。
6年前はゆっくりな足取りながら夫に連れられて私が住んでいたミラノに来てくれた。
日本食が食べたいと言って困らされたけど、Duomoの大聖堂など世界ふしぎ発見!のTV番組が好きだった父は純粋に感心してた。
又電車で席を譲られたので、イタリア人に良いイメージが湧いたようで良かった。
4年前に孫ができた時も抱っこできた。
4年前は新生児の世話、パーキンソン病の父の病院付き添い、夫婦だけで不動産屋をはじめる、とドタバタした日々だったな。
ずいぶんと進行が早かった。
認知症と重なったからなのか何なのか分からない。
あっという間に通院できないレベルになり、老人ホームを点々とし、最終的に特別養護老人ホームに落ち着いた。
コロナ禍になり、リモートで面談のみとなった。
リモート面談は、画面同士で話すのが慣れないのか、あまり面談になってなかったけれど、姿が見れてよしだった。
平日日中の面談なので、なかなか成長した孫を見せられないのが残念で、たまに家族のアルバムを送った。
すると職員さんが「私がいない!」と寂しがってる、と言うので、父が入っているアルバムも送った。
職員さんに聞くとそのアルバムを気に入って「いい男だろう?」と自分を指して笑わせたりしてたようだ。
今年9月に、いつどうなるか分からない状態になったので、面会解除となった。
それから週に1度はお見舞いに通った。
話しかけると分かってるようで、たまに手を上げて動くよ!とジェスチャーをしてくれた。
息も絶え絶えの父が呼吸して生きてくれてるし、やるべき事をどんどんして行こうー
一そんな想いが増して、9月からわりとテキパキ行動するようになったと思う。
10月の終わりにこんなtweetをした。
誕生日はぶじ迎えられた。
父の他界を夫にLINEで伝えたら
「最高のお父さんだったね。誕生日を過ぎて家族と仕事の状況が落ち着いたタイミングなのも凄い」
と返ってきた。
そう言ってくれてありがたい。
10年前は「今しか旅行に行けない!」とむりやり私と弟を連れて北海道や沖縄に連れて行ってくれたな。
「今しかってことはないよ!」と延期したかったけど父の行きたい時に旅行できて良かった。
今思えば、自分でも今しか行けないのはどこかで分かっていたのかもしれない。
父はよく自分の思った通りにいくと
「私の計算通りだよ!」と笑ってた。
今も天国からそんな声が聞こえる気がする。
お父さん本当に沢山のことをどうもありがとう。
施設でお世話をして下さった皆々様、よく過ごさせて頂きありがとうございました。
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