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「生きよ」という声〜『ダイヤモンド広場』を読んだ

今朝は、このニュースに驚愕した。

文化庁はこれで右に行っても左に行っても行き止まり(脅迫者の側に立っているのか、あるいは、ろくに審査もしないで補助金を出してきたのか)。この国の文化行政は地に落ちたというか、地に落ちていたことが明らかになったというか。いや、そもそも"文化"なんてこの国にあったのか? という気もしないでもないが。とにかく大きな何かが「終わった」ことがぼくの中で強烈に印象づけられた。

ぼくは… といえば今月は(いろいろ書いているように)いくつかの新しい仕事をつくって、向かいつつ、個人的には『ダイヤモンド広場』を1ヶ月近くかかって読んでいた。

この本はおそらく、ぼくの読書体験の中で、これから大きな存在となってそびえ立つだろうという予感がする。いや、もう、わかっている。読みながら、もう何度も読んでいる(居合わせている?)ような不思議な感触があった。こういうのは、希にあることだが、今回はとにかく強烈だった。

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ここでは例によって、ザッと書いておこう。

先月、岩波文庫として出た、この本。

マルセー・ルドゥレダ? 知らなかった。カタルーニャ語で書かれた小説(の翻訳)らしい。

「マルセー・ルドゥレダ」と検索しても、この『ダイヤモンド広場』が出てくるだけで、どういう人なのか、日本語のウェブ環境ではほとんどわからない。英語で書かれたウェブサイトを探すと、作家の写真も出てくるし、ようやく少しわかった。

『ダイヤモンド広場』は、世界中で翻訳の多い本らしくて、日本でも1974年に晶文社から日本語訳が出ているが、それはフランス語からの重訳(つまり翻訳の翻訳)らしい。カタルーニャ語から直接(?)の日本語訳版の刊行は今回初めて、とのこと。

ぼくはとにかくどんな本でも、最初から最後まで読み通すことが困難な人なのだが、この本は、途中で置くわけにはゆかなかった、久しぶりの本になった(それでも1ヶ月近くかかったが、じっくり読んだ)。

この小説は最初から最後まで、ひとりの女性の、モノローグ(ひとり語り)の濃縮100%ジュースである。

彼女が生きたのは、スペイン内戦を挟んだ時代のバロセロナである。『ダイヤモンド広場』の背景に──というより、"広場"の中にスペイン内戦がある。

彼女は戦争によって夫を失うが、その死を見るわけではないし、本当に死んだのだろうかという思いすら抱いてその後を過ごす。目の前では、誰の死も見ない。死は、全て伝聞(そして"不在"というかたちで)でやってくる。そして貧困、飢餓というかたちで戦争は彼女を追い詰めてゆく。

戦争というのは、人の中に巣をつくり、人を蝕んでゆくものなんだろう。

『ダイヤモンド広場』の語り手も、孤独の中で死に落ちてゆこうとするが、最後の最後で、自分を呼び止める声に振り返る。

"振り返る"ということが、こんなにも美しく書かれた小説を、ぼくは他に読んだことがないかも。

"不在"が、また彼女の未来を照らし、苦しめると同時に救いもする。

読み進めるにつれて、この語り手の女性は、たいへん無口な人だということがわかってくるが、しかしいろんなもの、ことを見て、聞いて、感じていて、彼女のいる空間、建物、街、人びと、鳩たち、そういったものの表情はものすごく豊かだ。

しつこいほどに書かれる光景もある。

それが豊かであればあるほど、彼女の悲しみは際立つし、それはその人を生かせる、そして、読む人に「生きよ」と言うのだ。

(つづく)

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