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依存症という世界の観察

田代まさしさんが覚せい剤を持っていたとかで久しぶりに逮捕されたというニュースが流れているのを見た。

友人によると、「覚せい剤の利用者に世間は厳しい」らしい。ふ〜ん。依存症を何だと思っているんでしょうか。またお得意の「考えたことない」でしょうか。

ぼくの理解では、依存症というのは、そうなってしまったら──たとえばアルコール依存症なら、「飲んでいる状態」が平常になる。薬なら、「やってる状態」が当たり前になるということ。

だから依存症なんだ。

これは依存症になったことのない人による、依存症の人の観察結果として読んでほしいが、考え方を逆転させなければわからないんじゃないか。

つまり、酔ってない状態を普通だと思っていると、アルコール依存症はわからない。

たとえばぼくは飲まない日がないくらいの飲み助だが、帰宅して、1杯飲み、2杯飲みが続いて飲みすぎたとしても、いつかは、このへんでやめて寝るか、となる。それが延びれば延びるほど二日酔いになるわけだが、二日酔いと言っている時点で依存症とはちょっと違う。アルコール依存症の渦中にいる人には二日酔いなんてものではないはずで、酔ってる状態が普通なわけだから二日酔いにはならない。

で、これは当事者たちがよく言っていることだが、アルコール依存症に「もう2度と飲まない」という誓いは危なくて、快復している人は「今日は飲まない」という選択を1日、1日続けているだけなんだ。

薬物依存症の場合は、違法薬物の問題がからんでくるからさらに厄介なのだろうが、しかし、アルコール飲料は普通にそのへんの店で売ってるから逆に厄介という見方もできるので、どっちが大変ということを言う気にぼくはならない(刑罰が出てきて問題が複雑というのはあるだろう)。

ただ、薬物依存症の人たちの話を聞いても、だいたい似たようなことだなぁと感じる。

ぼくが思うのは、依存症の方へ踏み越えてしまうその線は、その時にはきっと誰だってわからないんだろうということだ。気づいたら、その世界へ来てしまっている。その哀しみに思いを馳せる。いつかぼくも行く道かもしれない。誰だってそうだ。

だから、よく頑張った。大変だったろうが、またこれからだ。人生そのくり返しじゃないか。

依存症からいまのところ快復しているらしい人の家族として、依存症という世界に対する想いを少し書いてみた。

(つづく)

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