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消えたものは何か

昨夜、友人と一緒に、あるラーメン屋へ行った。最近、その近所に別のラーメン屋をみつけ、気に入っているので、ちょっとご無沙汰してしまっていたが、好きな店だ。

カウンター10席程度の小さな店で、我々が入ったときには2人連れがラーメンをすすっており、4人連れがラーメンを待っていた。

店員は1人で、我々が入っていき、席についても顔を上げない。何やら忙しそうだ。客がもう1人入ってくる。今度も顔は上がらないが、いちおう「いらっしゃいませ」という声はあがった。

我々はその店員をはじめて見る。以前の人ではない。4人連れから「1人で大変そうね?」と言われて「そうなんです」とか言ってる。

やがて別の店員が2人、入ってきて、「あれ、1人だったの?」なんて話をしているのが聞こえる。2人+1人の注文はまだ取りに来ない。

新しく入ってきた2人の店員の1人が、注文を取りに…は来ないで、4人連れのラーメンを運ぶ係になり、あとの1人は奥で何かゴソゴソやっている。

ようやく4人分のラーメンを運びおわり、注文を取りに来るが、後から入ってきた1人は「時間かかりそうね? 後の予定があるから行くね」と言って(怒った様子はなく)出ていき、「すみません」とか言いながら我々の注文をとりに来た。「ラーメンふたつ」「はい」

何か、ちがう。と心配していたら、出てきたラーメンも、やっぱり以前と何かちがう。麺はスープを吸ってのび気味に感じられるし、同じ「ラーメン」を注文したのに、一方だけ半熟卵が載ってない(指摘したら持ってきてくれたけれど)。

何がこんなに気になるんだろう。ラーメンの味が落ちたのもガッカリだけど、ぼくはそれ以上に悲しくなってしまった。何かが足りない。何が、消えてしまったんだろう?

慣れてない人たちなのだろうと思う。その場に起こっている、いろんなことに。年齢のことを言うと、3人ともかなり若そうだ。まぁ、仕方ない。

ゆっくり出てくるのも、まぁ、いい。

ただ、我々は、何となく、その店員たちに(つまりその店に)「大切にされてない」感じがする。「ほっとかれてる」と感じる。

人との距離感を、ほどよく保つのは、たしかに難しい。

しかし、「大切に思う」感覚を、いま、自分が持てているか、と問うことはすぐにできる。

ぼくも自分の態度を見直してみよう。いつも神経を研ぎ澄まして見直しているのでは(自分も、おそらく周りの人たちも)疲れてしまうが、時おり再点検するくらいの気持ちを持つようにしよう。

いま、大切に思えているか。人を。モノを。場を。いろんなことを。そして、自分を。

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