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"なんちゃってデザイナー"の仕事①

ぼくはおそらく本来はかなり飽きっぽい人で、ひとつのことにのめり込んで、継続してやってきたようなところはあまりない。──というわりには、13年やってきている『アフリカ』があり、いまやっている仕事の多くは6、7年やってきている。"日課"をはじめるとそれなりに続く。が、やっぱり飽きっぽい人だという自覚がある(少年時代の話をすれば伝わると思うが、それは今日の本題ではないのでまたの機会に)。

大阪から府中へ飛んできて引きこもった頃には、それまで経験してきた編集の仕事、ライターの仕事には正直、あまり興味を持てなくなっていた。

いや、もともと興味があって始めた仕事ではなかった。ぼくには出版や印刷業界への憧れといったものがサッパリなかったし、いまでもたいしてない。少しかかわってしまったのは偶然だ。本は好きだが、というより本に限らずあらゆる印刷物が好きだが、それを愛でるというほどではないし、どちらかというと質素な本(というか冊子というか)が好きで、「本は素晴らしい!」と叫びたくなったなんてことは皆無で──と、なんだか淡々としている。

2006年、『アフリカ』を始めた時は、はじめて勤めた会社を辞めた直後で、その前にやった雑誌も"休刊"(と見せかけた終刊?)した後だったので、いろんな意味で自分のリハビリだ、それまで手がけたことのなかったDTP組版を自分でやってみよう、となった。遊びのつもりで、軽い気持ちで。

2011年の秋、当時ぼくの住んでいた隣の長屋に珈琲焙煎舎がオープンして、仲良くなり、そこに『アフリカ』を置いてもらうことになった際、ちょっとしたチラシをつくった。思い返してみれば、それがぼくの"チラシ・デザイナー"としての最初の仕事 (?)だったのではないか。

(そういえば、珈琲焙煎舎では、いまでも使われているショップ・カードをつくらせてもらったり、最初の頃にはいろいろつくりましたね。懐かしい。)

その後、知的障害のある人たちの"支援"の仕事を始めてから、支援の事業所(風雷社中)で広報紙を出したいからと言われて手伝った。以前にもそういう媒体の企画・編集を手がけたことはあったが、デザイン(?)までやるのは初めてだった。

※印刷は事業所にあるコピー機、紙はコピー用紙だった。モノクロで部数が少なければそれでもいい。

人呼んで『ふうラボ』、とにかく予算はすごく少なかったが、コミュニケーションをとるのが日頃から顔をあわせている人たちであり、"真面目にふざける精神"が共有されていて、記事内容にかんして大抵のことは許されたので("やんちゃ"な記事ばっかり?)、短い時間で、何かの片手間に、毎月少しずつつくる、ということは可能だった。それを数年、続けた。

※文字情報が多いでしょ? 毎回ここまでではなかったですケド。

もっと予算をかけて、回収しなければならない、となっていたら、ああはいかなかっただろう。

「お互いに無理のない範囲で、続ける」ということを受注の仕事として実現した最初の例になった。

それ以降、こういった小さな媒体や、チラシの仕事をちょくちょくいただくようになった。毎回、予算に応じて、という感じ。小さい金額の仕事ほど受けやすいという事情もあり。もっと積極的に営業すればいいのだろうけど、なかなかできなくて。

※『ふうラボ』と似ていますけど、予算がもう少しかかっている(現在進行形の)『さわやか通信』、この話はまた明日。

ぼくはいわゆる"商業デザイナー"ではないし、なる予定もない。

ただ綺麗に見せる、ただ格好よく見せるためのデザインというものの必要性を疑っているところすらあるので、たぶん向かない。

ぼくのやっていることは"デザイン"というよりは、"編集"ではないか。

でも、"編集"というのがどんな仕事なのか、わかる人は少ない(目に見えない仕事だからね、なんて)と思っているので、"なんちゃってデザイナー"の仕事、ということにしている。

お世辞にもプロっぽい仕事とは言えない、と思っている。でも、みんな、もっと気軽につくればいいんだ、とも思っている。金にモノを言わせられないなら、チャンスではないか!──自分たち自身でつくるチャンスだということ。"なんちゃってデザイナー"の仕事は、そのお手伝いをすることだ。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、2月7日。本日は、"小さな成功体験"の話。※毎日だいたい朝に更新しています。

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