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オトナのための文章教室⑦

あたたかい日がつづいていましたが、また急に冷え込んだ3月中旬の金曜日。しとしと雨の降る夜の「オトナのための文章教室」、これまでで最も少ない4名参加。ゆっくり、じっくり読み話した2時間でした。

今回のお題は「人間以外の生き物になって書いてみよう」で、皆、アイデアはいろいろ浮かぶんだけど、実際に書いてみようとすると難しい、と言っています。

それもそもはず? 道端の大葉子になった人、河川敷の桜の木になった人、夢の中で鳥(たぶん)になった人、エイリアンになった人までいて、なかなか過激(?)です。その「生き物」にかんする解説からはじめないといけない場合もあり、さっと読んで、ぱっと感じられる内容ではなかったかも…

たんにその生き物の殻を借りた「擬人化」なのか、その生き物に近づこうとしているのか、というのも大きいような気がしました。

私はこのところずっと書いている「道草氏」の話の習作として、ある木と、ある猫にご登場願った「モシャ子伝説」を書きました。しかしこれは小説には採用されずアウトテイクになるかもしれません。

ちょっと凝った企画がつづいたので、次は、各々が書いているもの、書きたいものに向かってもらうことにして、ただし「ヨッパライの調子」で書こう、ということになりました。酔っ払いの口調で? 酔っ払っている雰囲気で? 酔っ払いのことば遣いで? 支離滅裂もお説教も大歓迎! 思い切って遊んでみよう。

次週(3/23)はひと休みで、次回は3/30(金)の夜です。ご注意ください。

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2月にスタートした「オトナのための文章教室」、ひとまずは4月までの予定で、半分を越しました。

ことばという道具をつかった「表現」にとりくむ場をつくろう、というのが出発点でした。

とはいえ、「書き方」は教えられない。マニュアルは、もしかしたらあるかもしれないが、各々の中にあり、誰にでも通用するマニュアルはないと思う。だから各々の「書く」に向き合ってゆこう、ということを書いたり話したりしました。

「教室」では、「読む」が大きな比重を占めています。「書く」ことは「読む」ことだと言いたいような気もしていて。自分以外の人が書いてくるものを毎回読んでいることが、自分に何を教えてくれるだろうか。ということにも気をつけています。

こうやって毎週やっていることは、各々の中に眠っている何かをゆり起こすかもしれないとか、自分を助けるかもしれないとか、いろいろ考えたいような気もしますけど、そもそも「書く」とはどういうことなのか、ひたすら「書く」ことでしか感じられないことはやっぱりあると思う。

参加者のひとりは、こんなふうな話をしてくれました。

「学校にも普通に行って文章を書く機会はいろいろあったし、社会人になってからも書類なんかで文章を書く機会はあり、書いてはきたけど、それはある程度型にはまったものだと思う。果たしてそれだけなのか。そうでない文章は、どうやったら書けるのか」

すぐには書けないかもしれないけれど、なんてことを私は言いたくなくて、書きたいと思うならいますぐ書こう。他人にどう読まれるかとか、へんな人だと思われるんじゃないかとか、その前にこんな文章では自分が満足しないんじゃないかとか、そんなことは気にせず書こう。少なくともこの「教室」では、誰もバカにしたりしない。笑い声はたまに起こりますけど、共鳴することがなければ笑いは起きない。

私という「案内人」は、いま一度、この「教室」の原点を振り返って、残り5回、そしてそのあとにつづく道のりを想像して眺めながら、さ、どんなワクワクすることができるかな、と頭をひねっているところです。

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