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ワイエスの"ドキュメント"を観る②

昨日のつづき)

片岡義男『日本語の外へ』は、湾岸戦争を"観察"することから始まるが、湾岸戦争が始まった日、その報道を見た時、片岡さんは軽井沢の美術館へワイエスの展覧会を観に行っていたそうで、その話から始まる。そして「あとがき」では再びワイエスの話になる。

片岡さんもそこで「鉛筆による数多くの断片的なスケッチ」が「記憶に残った」と書いている。

ワイエスはたぶんスピードをつけてそれらのスケッチを描く。グイッと突き進んだり、戸惑ったり、迷ったり、飛び出したり、その全てが紙の上に残る。その奇跡によって、彼は何かを掴むのだ。

それらのスケッチを彼はそれほど大切に保存はしていなかったらしくて、ものによっては汚れが目立っていたり、犬か何かの足跡がついていたりもする。それらは全て過程なのだから、過ぎてしまえば、忘れてしまうということだろうか。とはいえそれも捨てられるわけではなくて、どこかに保管されて、ながい時間を経て日本から来た人が買い(金を出して"預かる"というふうに話したそうだ、いいねぇ)、展示されて、ぼくのような人も出会ってそれについて少し書いてみたりしている。

『日本語の外へ』の「あとがき」で片岡さんは、軽井沢での展覧会で出合ったワイエスのことばを、記憶して(「正確な引用ではないが」として)こう書いている。

「私の絵を見て寂しいとかペシミスティックだと言う人たちがいますが、自分がいま見ている光景をずっと自分のもとにとどめておきたいと私は願うので、そのことがペシミスティックな印象を生むのでしょう」

この光景を、この時間この瞬間を、自分の手元に残しておきたいという気持ちがぼくにはずっとある。それは、いろんなやり方で記録できるのだろうが、当然、"保存"されたものはその時間そのものではなくて、あくまでも"痕跡"だ。

その痕跡は、抽象的なイメージを伴っている。いわゆる具象的なイメージよりも、彼の捉えた抽象的なイメージの方が現実的な感触を強く持っている。なぜか。──抽象的なイメージは、そこにある何かをクッキリと切り取るからだ。

(またつづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、5月11日。今日はひなた工房より、梅雨の水たまりをイメージした新作の「豆マット」の世界をご紹介します。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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