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"立ち返る"という仕事

思うところがあって、これまで自分が書いてきたものを整理して、読み直す作業を始めている。

整理をしてる話までは、数日前に少し書いた。記憶というものは、けっこうなくすもんだという話。

整理するだけでなく、読み直す作業を始めた。例によって、毎日、少しずつ、である。

まとまった時間をつくって…ではなく、1日のうちの短い時間を使って…(ただし毎日やる)という方が自分には向いているようだから。

ただし、過去のものとはいえぼくは書いた本人である。自分ひとりだけでは進められそうにないので、並走して読んでくれる人──相棒の助けを得て、徐々にやっている。

これまでいろんな媒体に書いたエッセイ、小説、それから、書いたけれどどこにも発表していない原稿もたくさんある、最近、記憶にない原稿もたくさん発見したので、おそるおそる読んでみている。

昔のやつ、とくに20代前半までに書いたものは恥ずかしくて読めないぞぅと思わないでもなかったが、読んでみると、やるじゃん? なんて。

逆に、当時は手応えをもって完成させたつもりだった原稿が、いま読むと薄っぺらなものに感じられたりもする。

読んで、いいかどうかは、上手いとか下手とかという問題ではないから、とくに文章の場合、下手でもいいものはいいし、上手く書いてあってもイマイチなのはイマイチだ。

大切にしている原稿だが、ものすごくプライベートな内容で、とても外に出せるようなものではない、と自分では思っているものでも、一緒に読んでくれている人によれば、誰が読んでも感じるものがあるだろう、これはよし、となる場合もあって、面白い。

アフリカ』の書き手と編集者とのやりとりを思い出す。ぼくは編集者であり、書き手でもあるが、書き手としての自分には、編集者は自分以外にいない。だから、ぼくの書いたものを共に読み、話してくれる人の存在をありがたく思う。たとえひとりでも、やろう、と思う。けれど、ひとりでは達成できない仕事の質というものも、ありますね。以前、ある人はぼくに「ひとりでやるな」「ない袖はふるな」と言ったが、頭ではいちおう、わかっているつもり。

読むことによって、その頃、自分が何を感じ、考えていたか、何に影響を受けて書いていたか、そんなことも思い出されてくる。その時々の、自分の仕事に、立ち返ることができている。

ちょっとこわいけれど、おもしろい作業になってきた。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月22日。今日は、「ちょうどいい」な話。

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