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書くことを通じた(自己)探求の場〜「オトナのための文章教室」の9月

月曜の朝に来た台風の被害の状況が、徐々に明らかになってきている。もう木曜だ。台風の被害状況を把握するまでに3日も4日もかかるものだろうか? 自然災害はたびたび起こっているが毎回こんなふうではない。今回はなぜだろう? などと疑問も浮かべつつ──心配もするし、明日は我が身と考えもする。どんな備えができるか、と今朝は夫婦で話し合ったりもした。

さて、ぼくの日々の仕事をしながら、これからつくる2冊の本の編集作業に入っている。『アフリカ』も、まだほとんど話もしていないが、年内にはもう1冊つくろう、と計画してるのだから、忙しくなる。頼まれてもいないのに、ご苦労なことですなぁ(と言いつつやると決めたらやります)。

オトナのための文章教室」も、秋からは横浜を拠点に続けてゆけないか──というより、あらたに始めようと準備してる。

一方で、以前からやっている武蔵野市周辺での「文章教室」も、たまにやってゆこうと思っていて、今月も(ちょっと急ですけど)来週20日(金)の午後 or 夜にやろうと決めて、告知を出しました。

詳しい時間や場所は、参加希望の方と話し合って決めよう、なんてゆるい感じ。どんなふうなことをしてるの? とか連絡先などの詳細は、アフリカキカクウェブサイトの「Workshop」ページをご覧ください。

先月、その「文章教室」について書いたものも、ご紹介しておきます。

いろんな「文章教室」があると思う。他が、どうやっているか、ということについては、ぼくは全く興味がないわけではないが、あえて知りたいとも思っていない。

ただ、ぼくの運営している「文章教室」のスタンスについては、再び書いてみておこう。

プログラムらしいプログラムは、準備していない。いまのところ、準備する気もない。

「書く」「読む」「話す」──この三つをからめて、それぞれの人が感じたり、考えたりすることを大切にしたい。

ただし、その三つとも饒舌に行えなければ参加できないと思っているわけではない。「書けない」ということはあるし、「読めない」ということも、まぁあるとぼくは思っている。「話せない」ということは、ぼくは吃音を通じても、それでなくても、自分の中にある大きなテーマのひとつとしてもっているつもりだ。

書きもしないし、読めもしない、話もできない、でも「聞いている」ということもあっていい、と思っている。

(ぼくは「教室」の先生というか"案内人"というか仕切り役というか…ですから、どんな時でも頑張って話しますけれどね)

執筆のプロ(作家)を育てようとはしていない。

書きたい人、書こうとしている人が、書きたいと感じることを探求し、書き方を模索してゆくことで、書く前には感じられなかったことを感じたり、考えられなかったことを考えたり、何かに気づいたり、そんなことを書きながら、読みながらやってゆく場にしようと常々ぼくは思っている。

だから執筆のプロでも、仕事を離れて、そういうことに取り組んでみる場としては使える、と思っている。

何かを教えようとは思っていない。しかし、やっているうちにその人は何かを学ぶだろう。それでいい。

そういう場にしてゆくためにはどうするかというと、ぼく自身が、何かに気づいて、気づいたことをすくい上げたり、たとえ何も見当たらなかったとしても、何かを感じていること。ぼく自身が学び、その喜びをできるだけ素直に、伝えてゆきたいと思っています。

(つづく)

【お知らせ】9/15(日)「金沢文庫芸術祭」にKOTOKOTOのワークショップ・ブースの隅っこに、ひなた工房アフリカキカクも"展示 & 販売"で参加します。私は日常を旅する雑誌『アフリカ』最新号を中心に"棚からひとつかみ"で持ってゆきますよ! 立ち読み歓迎。ぜひ遊びに来てください。

その『アフリカ』最新号、ご連絡いただければ郵送で直接、びよーんとお届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。「どんな雑誌なの?」ということにかんしては…

をご覧ください。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、9月12日。ひなた工房では、金沢文庫芸術祭に向け、「風船張子」を製作中。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝(日本時間の)に更新しています。

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