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"趣味趣味音楽"の時間

3月21日というのは、ことのはさん(妻)によると「宇宙の元旦」であるそうだし、春分の日でもある。そして、「ナイアガラの日」でもある。

そこで今日は"趣味趣味音楽"の話。

大瀧詠一さんは1981年3月21日に発売したLP『A LONG VACATION』が"売れた"ので(それ以前はそれほど"売れた"ことがなかった)、ぼくが覚えている限り、2001年3月21日に、その『A LONG VACATION』の20周年を記念するリイシューをして以降、毎年3月21日が彼のレーベル"ナイアガラ"の何らかのアイテムの発売日とした。ようはゲンを担いだわけ。

大瀧さんは2013年12月30日に、突然、亡くなった。それ以降は、彼の娘婿がナイアガラ・レーベルを取り仕切り、未発表音源の発掘・発表などが行われている。

今年は、『NIAGARA CONCERT '83』というのが出た。1983年の夏に西武球場のライブ・フェスで行われた、大瀧さんにとって最後になった"ソロ・コンサート"の模様を全編、収めてある。

大瀧さんは自分のコーナーだけテレビ・カメラマンに退席してもらい、自分のコーナーだけマルチトラック・レコーダーを使ってレコーディングをさせた。つまり、野外フェスの会場を、自分のパフォーマンスのレコーディング・スタジオとした、と言ってしまいたくなるくらいの素晴らしい音である。

『レコード・コレクターズ』最新号の記事によると、この音源は、大瀧さんの"喋り"をカットしているわけではなくて、実際に、喋らずひたすら歌をうたうだけだったらしい。さいごの最後、ものすごく控えめな音で、「どうもありがとうございます」という大瀧さんの声が入っている。その、消え入りそうな小さなお礼の声が、大瀧さんという人を見事に表しているようだ。

今回は、大瀧さんが行った数少ないコンサートで、"オールディーズ"のカバーをしている音源を集めたDisc 2と、1977年の"ファースト・ナイアガラ・ツアー"の渋谷公会堂でのパフォーマンスを収めた映像のDVDも楽しみにしていた。

"動く大瀧さん"も、ほとんど見たことがなかったし、"ファースト・ナイアガラ・ツアー"に出演しているシリア・ポールさん、布谷文夫さんの映像も見たことがなかった。彼らは皆、ラジオの人だった。その映像、まず最初に家族で見たんですが、抱腹絶倒、笑いすぎて腹が痛いというやつで、5歳の息子は「おーたきさんの、カナヅチのえいぞう、またみよう」とか言ってる。大瀧(大滝)詠一(あるいは多羅尾伴内)という人はほんとうに油断ならない(気になる人は多少無理してもこの機会に買って観ましょう)。ぼくも腹を抱えて笑いつつも、大瀧さんとシリアさんがデュエットしている映像が手元にきて、何だか妙にグッときたりもしています。

とはいえ、1990年代に出会ったぼくにとって、大瀧さんという人はラジオの世界の人で、ラジオを通して、ものすごくたくさんのことを教わり、考えさせられ、学んだ。

その大瀧さんが20代後半の頃、ラジオ関東(現・ラジオ日本)で「Go! Go! Niagara」というレギュラー・プログラムをもっていた頃の音源が、いま、再放送されていて、毎週楽しみに聴いている。

ラジオ番組をアーカイブするという習慣が、おそらく日本にはなかったと思うが、大瀧さんは全て保存していた。しかも、良い状態を保って。──という想像はナイアガラ・ファンには難しいことではない。

大瀧さんは生前、よく「音楽制作だけが音楽活動じゃないんだよ」と言っていた。「日本ポップス伝」、そして"遺作"となった「アメリカン・ポップス伝」も大瀧さんの作品だと思って聴いている。また、「あとは各自で」ということばも残している。

人は誰でも、いつか死ぬ。その後、その人がやってきたことはどうなるのか。──バトンを受け取った"各自"が、引き継いで歩み続ける。それぞれが、それぞれの行き先に向かって走るが、受け取ったバトンは、彼の精神をリレーするのだとぼくは思っている。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月21日。道草の家の2階、"ひなた工房"が、インスタグラムを始めました。どうぞよろしく。※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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