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手抜きの必要・森林公園の桜

この数日、ここ(「道草のススメ2019」に書くこと)では手抜きをしている。毎日、毎日、ずーっと力を入れていたら続かない。

力を入れられる時だけ書けばいいじゃないか? なんて言われるかもしれない。しかし書いてない時も書いているようでなければ本当に力が入ることはないだろう。どうせなので力が入らないものも書いて公開してやろうというわけ。いま公開してと書こうとして変換が後悔してになった。ぼくの場合、後悔することは滅多にない。何事にも後悔してはいない。小さなことはありますよ、もっとああすればよかったとか、それは後悔というより反省かな。

ぼくは音楽でも文学でも美術でも、力作と言われる作品の脇(?)にある、ちょっとしたもの、小品、こぼれ落ちたような作品を好む。

そういうものは、「これという傑作だけを出せばよい」のならうまれない。だいたいにおいてそうではない。

それにしても、手抜きできる実感があるということは、手抜きしてないものがすぐ傍にあるということでもありますね。

今朝は天気がよかったので、息子を誘って…いや、息子に誘われて、近所の森林公園まで散歩に行った。帰省から戻ってからもバタバタしていたので、久しぶりにゆっくり、と。

桜が満開だろう、と思いながら向かう。根岸競馬場跡の公園。

ぼくは桜だらけの真っ白に染まった風景よりも、桜の花もある、いろんな木のある風景が好きなのだけれど。

今日は平日なのだが、案の定、花見客で賑わっている。近年、増えてきたような気もしている、ここの花見客。パノラマで撮ってみた。

じつは、花見客が大挙している芝生の広場よりも、桜の山に入ってゆく散歩道の方がぼくは好き。結婚前に、ぼくの妻となった女性から紹介された"仲良しの木"も、この中にある桜の木だ。数年前から囲いをつけられて立ち入り禁止になってしまった。

池では、亀が沈んだり(潜ったり)浮かんだりするのを見ていた。

いつものように馬たちにも会いに行く。馬を見ていると、ぼくは心が静まる。彼らの近くで暮らせていることに感謝している。

馬坂の桜並木。

元号のことで世間は賑やかなようだけれど、ぼくは興味がない。もともと年を指すのに元号を使っていない。役所で必要とされ(強制的に)「いま、何年です?」と訊く程度の関わり合いだ。

まだまだ"昭和"は続くだろう。平成とはどんな時代だったかという本当の意味での総括など、できそうにもない。ただ懐かしがるだけ、懐メロを愛でるくらいが精一杯で。そのツケは、後の世代にどんどん回されてゆく。

こんな時代に、ぼくはこどもに、こどもたちに、そのこどもたちに、何を残すことができるだろうか? 何を伝えたい──いや、何を伝えられるだろうか?

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月2日。今日は、ただいま道草の家に滞在中、"モルちゃん"の話。

道草の家の2階、"ひなた工房"が、インスタグラムを始めました。どうぞよろしく。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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