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故郷・鹿児島にて①

最近は年1回、妻子を連れて帰省するのが恒例になってきた。というより、主役はいま3歳の息子で、彼のために、ぼくの両親が年1回呼んでくれて、年1回来てくれる。

計画していなかったことだが、今年の帰省では、桜島をいろんな角度で望められた。毎日が快晴で、よく見えた。こども時代に毎日見ていた山だが、素直に感動した。
空港から鹿児島市街地へ向かう高速で、久しぶりに噴火する桜島を見た。最近、急に噴火が増えているらしい話は聞いていた。
妻は「灰が降ってくるのを経験したことがない」と言っていた。
ぼくが幼い頃、夏は桜島の火山灰が夏風に乗って鹿児島市のほうに流れてきて降る季節だった。あまり量が多くて風が強いと灰の嵐になる。鹿児島を離れて一人暮らしを始めたとき、テーブルの上に灰が化粧されてなくて、その快適さに感じ入ったこともよく覚えている。雨が降ると「灰雨」になる。雨に灰が混ざっているのだった。こんな話は鹿児島の人には常識で誰でも知っている。ようするに、灰が降るというのはありがたいことではない。
今回帰省している間には、噴火は小まめにしていたが、灰が降ってくる体験はしないですんだ。そのかわり、美しい桜島の姿を何度も見られた。
吉野公園の高台から桜島を望むのは、たぶん30年ぶりくらいだったろう。息子を遊ばせるのに、いいよね、と言って連れて行ったのだった。遊具に体力を奪われた息子は「もう帰る!」と叫んで泣いていたが、ぼくは感動していた。錦江湾と桜島を望むパノラマに!
鹿児島の街がどんなに変化しても、この眺めは変わらないし、変わるときは、人間の言うような「変わる」ではなくもっと巨大な、想像の及ばないようなものになるだろう。

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