#40 まっくろくろすけ

まっくろくろすけ出ておいで

以前、田植えの季節に立派な茅葺き屋根のお家を見学しに行った。そのお家を訪れると、ボランティアガイドのおじさんがいて、私たちを案内してくれた。「どこから来たんですか?何を勉強しているの?」なんて聞かれて、一緒にいた誰かが「東京の大学で、建築やまちづくりを勉強しています」と答えたので、おじさんは張りきって隅々まで案内してくれた。

柱の材質、各部屋の役割、どんな人が住んでいたか、この地域がどのように発展してきたかetc... 私たちがあまりにもたくさん質問したり、縁側から見るお庭に感動して動かなかったりしていたものだから、2,30分のつもりが1時間以上の時間が過ぎていたかもしれない。

さいごに台所の上の屋根裏部屋の説明をしてもらった時、「ここのはしごから屋根裏に行けますよ」といわれて、荷物を放り出してはしごに登って、天井に空いた真っ暗の穴に体半分くらいまで入った。中は...「何にも見えない!」いかにもまっくろくろすけが出てきそうな感じ、なんて思っていたら、案の定手はメイちゃんみたいにまっくろになっていた…

下にいるおじさんが、「そんなに奥まで入った人はじめてですよ(笑)」なんで笑っていたっけ。そのあとそこにいた全員が特に何にもない真っ暗な屋根裏に頭を突っ込んで楽しんでいた。(笑)

恐らくいつにもないくらいにぎやかになその光景を見たおじさんは、「まっくろくろすけも今頃逃げているんじゃないですかね?」とか、「いつもはグループで来ても一人覗くか覗かないかという感じだから、全員覗いたグループは初めてですよ。皆さんの好奇心旺盛さには驚かされました!いいですねぇ」なんて嬉しそうにしていた。

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興味を持って人の話に耳を傾けること

だれでも、人は自分が好きなことや誇りを持っているものに興味を持ってもらえたら嬉しい。そう言う人から話を聞けば(聞き出せれば)思いもよらない発見につながることがある。それに、教養としての知識が身につく。

もし、「つまらないな」と感じながら聴いていたら、そう言う時間がどんどん積み重なれば、人生におけるつまらない時間の割合が増えるだろう。

ちょっと誤解を招く(これを逃げていると捉えられる)かもしれないけれど、ここ最近、つまらないと思う状況からはさっといなくなるか、避けるようにしている。

前回の投稿で、情報の取捨選択が上手い人のことを書いたけど、きっとその人たちは、自分の時間を投じたくないことから上手く(社会的信用を失わずに?)逃げることも上手なんだろう。もちろん、そういう人たちだって、好きなこと・自分が心地よいだけの空間に身を置いているわけではないと思う。でも心地よく生きられるような工夫は、無意識だとしてもしているはずだ。

あと少し...

「普通は○○だ」

「最近の人は、、、若者は、、、」

「いいところに所属して、、、」

「いつになったら稼ぐの?」

これらを悪意をもって発している人はいないと思う。でも、そういうことに対して普段からかなり敏感になって考えているのに、何気なく発せられただろうたその言葉に私は触れたくない。

さっき「逃げていると捉えられる」と書いたけれど、上に書いたような言葉ついては当事者である以上、それなりに考えているしどうにかしたいと思っている。だから、ちょっとそのまま見ていてほしい。そんなすぐにはどうにもならないし、今やっていることを短期的な安心(稼ぎ始めるとか)のために諦めてしまったら、今までやってきたことはどうなってしまうのだろう。その方が自分にとっては恐ろしい。

どこかで誰かが、「ゴールまであと1ミリのところに来ているかのに、それには気づかずに諦めてしまう」ということについて書いていた。

自分自身は、そんなに近づいているとは思えないけど、今定めているゴールまでたどり着きたい。それに、博士論文を書くことは、「なくても世界はまわるけど、誰かがつくらなければ存在しなかった世界を作ること」だと誰かが言っていた。せめてその世界の枠を作るまでやってみたい。

そしたら次のことが見えてくる、きっと。





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