#18 母親

一人で歩いていると色々なことを流れるように考えられる。ふつふつと思いついては消えていく。先日もそんな感じで考えながら歩いていて、「あ、これ残しておきたい」と思ったことがあったのでメモ。

最近「子どもは40000回質問する」という本を読んでいる。

 原題の「CURIOUS」の通り好奇心に関する本で、これまで読んできた本や体験につながる部分が多くて面白い。全部読み終えたらレビューを書きたいんだけど、その前にちょっと考えていたことと、そのきっかけにになった一節を紹介する。

好奇心は愛によって支えられている

私たちは家に対する愛着が強ければ強いほど、新たな道を歩み始めることが多くなる。
 一歳の子どもがたくさんのおもちゃのある部屋で母親と過ごすようすを観察した。途中で母親にいったん退出してもらい、どんな反応をするか観察する。エインスワースとベルがとくに注目したのは、母親が戻ってきたときの子どもの反応だ。母親に「安定した愛着」をいだいている子どもは母親が戻ってくると喜んで迎えるが、やがてまた室内とおもちゃの探索に戻る。
 母親との関係に問題がある子供たちも母親が戻ってくると嬉しそうにするが、探索に戻らないことが多かった。まるで、背を向けたらお母さんがいなくなってしまうのではないかと怯えているようだった。この観察で明らかになったことをスーザン・エンゲルが次のようにまとめている。「不安を感じている子供たちは、身体的にも精神的にも、情報収集のための探索を行わない傾向が高くなる」。好奇心は愛によって支えられていると言えるだろう。

これは以前の投稿"我が道を進んでも『いいんじゃない。やってみれば』って受け入れてくれる人がいるから挑戦できるんだろう"と書いたまさにそのことで、子どもだけじゃなくてわたしたち大人にも当てはまるなと思った。

言い換えれば自分の子供やパートナーが好奇心旺盛にいろいろなことにチャレンジしていたら、「安定した愛着」を抱いていてくれている、ということだろうか。

これは一概に言える事ではないのはわかっているけど、例えば子供が自分のもとを離れて行ってしまうことに対して寂しい、と思うのではなくちゃんと愛情が伝わってる証だと捉えることもできそうだ。(そう考えたら子離れできないってこともなくなるのかな?)

・・・・・・

それと、”子離れ”と聞くと、なんとなく”執着心”もセットで思い浮かんでくる。

行きすぎた愛情は相手に対する執着であって、それがエスカレートしたらもはや愛情ではなくなるんだろう。これも親子関係に限ったことではなくて、結構たくさんの人が悩んでいるじゃないかと思う。私も愛情と執着の境目はあいまいでよくわからなくて、そのバランスのとり方も難しいと思うことはある。

その点自分の母親を思い出してみるとすごいなと思う。子どもに対してわかりやすく愛情表現するタイプではないけど、なんというか、行動に現れている(大人になって分かった)。私がアクティブに色々と挑戦できたのはそのお陰なんだなあと。

ついさっきも久々に留学中から仲良くしていた人と話していたんだけど、自分の好きなことも勉強も仕事もバリバリこなしているようで、そうだろうとは思っていたけど相変わらずそのエネルギッシュさに感心した。聞いた感じ、その人の母親もストレートに愛情表現するタイプではなさそう。でも子供にはちゃんと伝わっていてるんだろうなって思った。

見守る・受け止めるのも愛情のうち。それができる人ってすごい。

・・・・・・

なんだか取り留めもないメモになってしまった。

そういえば最近の悩みは、「好奇心の対象が次から次へと移っていって一つのことにあんまり集中できていないこと」と、「複数のことを同時に進めなくてはいけなくて、頭の容量がいっぱいになりそうなこと」。

というわけで一旦スケジュール管理をGoogleカレンダーに統一したものの、また紙のスケジュール帳に書き出すことにした。これに関してはまた詳しく書きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?