#77 社会は止まっても季節は巡る

#短文雑記

卒業式をむかえて

街中で桜が咲いている3月26日。あっという間に季節がめぐってまた春がやってきた。去年の今ごろ帰国した時は、まさかヨーロッパがコロナで時が止まったようになってしまうとは思いもしなかった。

規模縮小になった卒業式当日を迎え、コロナで混乱する新学期を控え、これからのことを頭の片隅で考えていた。そのときふと目にした、どんな時間を積み重ねていくか?について書かれた文章が、まるで自分に向けて発せられているようで、読みながら心臓が低音でドクンと打つのを感じた。

少し自分の状況を説明しておくと、私はこれから博士課程に進学する。日本の博士課程進学率は9.2%(修士卒後そのまま進学する人のみ,社会人ドクター含まず。H29,文科省データ)と非常に低い。国立理系総合大学の私の属する学院でも12% (H31年度)。これは経済的な面だけではなく、博士になると一気に就職先が減ること、学位を取れずに中途半端な形でドロップアウトしてしまう可能性があることなどが関係してくる。

つまり、いわゆる"就活"をして、会社で働くことはおそらく無いし、3年後自分がどうなっているか予想が付きにくいということ。

だからこそ、自分がこれから何を、どんな時間を意識的に積み重ねていくかということはずっと考えていることだった。

贅沢な時間

2月に論文が終わってから、ほとんど何にも制約されない、自分で予定を決められる2カ月間を過ごしていた。その間は、新しく始まる博士課程ではどんなスタンスで過ごそうかということ、またそれを実行するための準備、日々の小さな生産活動の積み重ねと執筆などをして過ごしていた。もちろん興味の赴くままに本や論文は読んでいたけど、研究活動と言う意味ではあえて何もしていなかった。(その理由もあとで書く)

自分の裁量で、自分のために1日のほとんどの時間を使うことができる。サラリーマンはもちろん、授業や部活で忙しい学生も、真に自分のためだけにこんなにたっぷり時間を割けることなんてないだろう。

一方で、自分の裁量でほぼ全てを決められることはある意味では怖い。惰性で過ごしてあっという間に過ぎ去ってしまったり、不規則な睡眠時間が習慣付いてしまうかもしれないから。

案の定、朝遅く起きるようになってしまったことはさておき、これまでの自分にしてはかなりのんびり、何にも追われることもなく、ゆっくりと日々の生活を営み・考え・書くことができた。これ自体には他人から見たら価値なんてないけれど、自分にとっては納得のいく形で、行動指針となるようなことをシンプルに言葉にするこができた、という意味で価値があった。とても贅沢な時間の使い方だったけれど後悔はない。

自分の昔からの悪い癖

あえて研究活動をしなかったのは、少しせっかちで、他人から見るといつも忙しそうにしている自分をどうにかスローペースにしたかったから。

焦ろうと思えば焦りたくなることばかり。学振の申請しなきゃ、奨学金はどうしよう?、バイトしてお金稼がなきゃ、クレカの更新しなきゃ、コンペの準備どうしよう…キリがない。

4月もなんやかんやほとんど大学関係の予定で埋まってしまったので、またせかせかした感じに戻らないようにしないと。

何かを生む時間

ひとりの時間、孤独な時間、とでもいうかもしれないけど、それらはつまりは自分の時間である。自分ひとりのための時間こそ価値ある何かを生む時間なのだろう。最近読んでいる本からも、自分の感覚的にも確からしい。

ヨーロッパで一人暮らしをしていた時、その部屋の中で私はひとりだった。孤独でなはいけど、自分と向き合う時間がたっぷり用意されていた。この春休みも同じ。旅行や集まりが中止になり、行きたかったライブも延期になり、自然とひとり静かに過ごす時間が増えていた。

これから少し忙しくなっても、何かを生む時間を大切にしたい。ネッティー・マリア・スティーブンズが、仕事終わりの自分ひとりの時間に静かに観察を続け、当時誰も見たことのなかった染色体を小さな細胞片に見たように。

意識的になること

お金に対して意識的になること、デジタル・ディバイスとの付き合い方を考えること、洋服を選ぶことも、日々のことを記録することも、色々試行錯誤してきたけど、それらは全てある人が言っていたこの言葉に集約される。

『自分の時間と注意を奪おうとするものに対して主導権を握ることからもたらされる価値ある輝きは,いつまでも色褪せないのだ。』

幸せ

研究することも好きだけど、何にも追われない状態で自発的に何かを調べたり書いたりしていた春休みはとても幸せだった。自分にとっての幸せってなんだろう?と考えた時、大きく二つあると思った。一つは将来も含めた人生を大きく捉えたときの幸せ。もう一つは、普段の生活圏での、つまり今現在の幸せ。

一つ目は、

研究を通してちょっとばかり世界を良くすることに貢献すること。自分の成果を記録して残しておくこと。また誰かとそのことを共有することでその特定の相手を幸せにすること。

二つ目は、

今はまだ経済面で自立してないので依存状態だけど、食べ、寝てという平凡な生活と、人と関わったりと言った社会的生活が不自由なくできること。かつ心身共に健康であり、自分の為に、好きなこと、好きな研究に一定以上の時間を使えること。

一つ目は、実現できないことではないけれど、その程度が曖昧なのと、具体的にどんな状態がゴールなのかが現時点ではイメージはできても決められない。だからそこに向かって日々積み重ねていくしかない。

その積み重ねていくための土台となるのが二つ目の幸せだ。それは実際いま、この時点で実現できている。今の生活自体が、自分にとっての幸せのうちの半分を満たしているということに書きながら気付いた。

ごちゃごちゃ書いてしまったが、つまり、

一つ目の幸せと二つ目の幸せは切り離して考えることはできず、どちらもを可能にすること=日々の積み重ねであるということだ。

・・・・・・

この文章で言及していた本はこちら↓



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?