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 神威 --KARUI-- 第四章

  

第四章 烽火


イチイの木は固く、しなっても折れぬ強さを併せ持つ。
矢羽は鷹の羽、鹿骨の矢尻には鳥兜から採取した毒を塗って用いる。
放てば鋭く、真っ直ぐに空を切って飛ぶ。
サライが鹿の角で矢尻を作り、矢を仕上げてゆく。
常義が集落に舞い込んだばかりの頃、切り落とした鹿の角である。

「角じゃ使い物にならないだろうけど、
一本位お守り代わりにあってもいいさ。
 あんたにお似合いだろう、ツネさん」

サライの手元を見つめていたレンカが、
少女の様な笑顔で常義に言葉を掛ける。
弓がそこになければ、
遊び道具をこしらえる子供たちの様にも、端からは見えただろう。

「何故、弓なのだ、ツネヨシ」

「剣の腕がナマクラだからよ。
子供の頃から真面目とは縁遠い男だからな、俺は」

そんな事は無いだろう。
サライは口の端に微かな笑みを浮かべて言った。

「いい天気だ、今日は。久し振りに吹こうかな、あたし」

レンカが篠笛を取り出した。はじめての日、常義が聞いたあの笛だ。

「レンカ。お前、どうして篠笛など持っているのだ?」

「ああ、これ?……“忘れ形見”とでも言うのかい、あんた達なら」

常義が己の愚問を悔いる間もなく、レンカの笛の音が響いた。
故郷では月光の下で聴く事の多かった音。
高い青空の上で注ぐ陽光、レンカの音にはそれが似合うと常義は思った。
軽やかな笛の音は、集落を包む様に流れていった。

「馬に乗った侍が砦から三刻ばかり先に集まっている。
戦いの準備をしている様だ」

集落の外を見回っていた青年が長人に告げた。
いよいよか……。低く呟く様に長人の口から言葉が漏れた。

常義とサライ、ホシニが集落の外へと走る。
先兵隊の一部と見える侍が十数名、こちらに向かって来た。
サライとホシニの矢が飛ぶ。常義も次々と矢をつがえた。
急ごしらえの小振りな矢筒から、ほど無く矢が尽きた。
常義は刀を抜いた。峰を相手に向け、渾身の力で叩き付ける。

「貴様、何の真似だ?」

刃を向けぬ敵を雑兵が嘲笑する。
その顔から笑みが消えぬまま、男の首の骨が砕ける鈍い音がする。
雑兵が地面に崩れ落ちた。嘲笑が怖れに変わる。
兵たちが常義目がけてなだれ込んできた。足を打ち、腕の骨を砕く。
悶絶する男たちを毒矢が貫く。しばらくの間、弓と刀の応酬が続いた。
最後の一人が、切っ先を振りかざして突進してくる。
常義は刃を反転させ、その体を二つに割った。

「それがお前の剣か、ツネヨシ?」

俺の腕はナマクラだと言っただろう。
息の乱れを収めて問いかけるサライに、
常義は僅かに笑みを浮かべて応じた。
前方から脇へと掠め飛ぶものがあった。
空を切る音は、やがて低く音を立てて止まった。

「日が陰ってきたのか?辺りが暗い……」

ホシニの目が泳ぐ様に左右に振られる。
眉間に矢が突き刺さっていた。

「ホシニ!」

常義とサライが同時に叫んだ。
ホシニは、苦悶の色を笑みに代えて言葉を継いだ。

「事のはじまりは俺から、だ。かまわず行け……」

ホシニの体に、なおも矢が突き刺さる。
集落一の刳舟の漕ぎ手は、立ったままで果てた。

ホシニの名を呼ぼうとした常義の言葉は、咆哮となって響いた。
眼前に見える三名の侍に駆け寄り、薙ぎ倒す。
遠く前方に見える、敵の弓隊に向かって駆けようとする彼を、
屈強な男の体が止めた。

「サライ。……頼む、行かせてくれ!」

いつの間に抜いたのか、サライの手には常義の刀が握られている。
後ろから来る集落の同胞を振り返って、サライが叫んだ。

「敵は数が多い。こいつ等を連れて集落に戻れ!
 長人に伝えよ、迎える体勢を中で整えてくれ、と!」

ホシニは常義に向き直って言った。

「お前が捨てた刃、俺が拾おう。多少は、これを触った事があるからな。
 俺の腕こそ錆びたナマクラだ。
 昔を懐かしむのかと、ホシニには叱られるだろうが」

ホシニを連れて帰ってやってくれ、ツネヨシ。
次に逢う時はウタリ(魂を分けた仲間)と呼ぼう、シサム(よき隣人)よ!
そのまま振り返らずに、サライは敵陣へと駆けていく。
その背中は土埃の舞い上がる前方に混じり、やがては見えなくなった。

ホシニを肩に担ぎ上げ、常義は同胞たちと集落へ向かう。
誰もが無言のままに足を進めた。常義の体は、
返り血とホシニの体から流れ落ちる血とで、赤く染まっている。
その腰には、一本の鹿角の矢が括り付けられていた。

ホシニの亡骸を連れて集落に戻った後、セタカムイは
泊館の兵たちに取り囲まれた。火矢が飛び、
家々が焼かれていく。皆は言った。
ツネ、もういい。お前は此処を去れ。
俺も最後まで戦うと言い張る常義を、
レンカが無理矢理に浜へと連れ出した。

「ツネさん。さあ、もう行くんだ。時間がない!」 

レンカ。浜へ上がった常義は、名を呼ぶ前にレンカを抱き寄せていた。
そのまま唇を交わす。澄んだ瞳は、抗わずに閉じられた。

「済まぬ。一度きりだ。一度きり、これで想いを忘れよう。
 俺がこの先自らに刻むのは、この集落の無念、痛みのみだ。
 その源に俺がなった事だけを、この先忘れずに俺は生きる。
 お前も俺を忘れろ。そして、死ぬな、レンカ」

「……忘れるかどうかは分からないけど。
 あんたを送らないし、追わないよ。ツネさん」

「サライは呼びづらいだろうに、ツネヨシ、と呼んでいたな。
 ツネで良いと言ったのだが」

「あいつ、言っていたよ。そう呼んでいいのは、
 長人と……、もう一人、だけだって」

「また逢えるな、必ず。何処かで」

「ああ。サライも生きている気がするよ、あたしには」

別れの言葉は交わさなかった。
常義はそのまま舟のある浜へと向かう。レンカは集落へと戻った。
心の中で互いを見送りながら、二人は二度と振り返らなかった。

 
北の海に一艘の小舟が浮かぶ。
小さな帆が一枚きりの舟には、二人の男が乗っている。
丸刈り頭の奇妙な二人連れだ。

「常義さま。これから何処へ行かれます?」

「陸奥、でも良いのだぞ。まだ戻れるのだ、お前は。小十郎」

「あなた様一人を泳がす訳には参りません。
 私ももう泳ぎたくはありませんから。宛も無いというのに」

 分かった、もう戻れとは言わぬ。常義は笑いながら、小十郎に応えた。

「では、何処へ?」

「……果てへ。行けるところまで」

蒼い海を舟は進む。
空と海が交わる処、丸い水平線とひとつになり、船影は視界から消えた。

行く先は、二人にもまだ分からない。



拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。