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神威 --KARUI-- 第三章

 

第三章 旋風


「刳舟(チプ)を割られたんだぞ!それでも黙っていろと言うのか。
 何時までだ。何の為に。
 俺たちは泥、土くれにでもなれば良いのか……? 」

集落の中ほどから、男の怒声が響いてくる。何を言っているのだ……?
確かめようとする常義の前に、サライが立ち塞がった。

「何をするつもりだ。」

「俺は此処の言葉がまだ良く解らぬ。
だが、何か事が起きたのだけは……」

「お前が行ってどうする?事の元凶は、お前の地の者にあるのだ」

 着いて来い。サライは、白樺の林にの向こうへと常義を誘(いざな)った。  

常義たちが泳ぎ着いた浜から半刻ほど下った岸辺。
遠く見える小高い山から注ぐ河口が、潮と清水とを混じりあわせている。
そこに、丸木を刳り抜いたような物が見えた。
傍らには長い木片が転がっている。
 
「これは、丸木船か?」

「そうだ。チプ、という。側のは櫂だ。
 昨日の夜、飲んだくれた侍が三人ほどここへ来て、
斧で叩き割ったらしい。
 奴らにとっては、戯れに過ぎぬ事だったろうが。」

サライとレンカの住む集落に、
奇妙な「余所者」が二人住み着いてから三月が過ぎた。
髪を短く切りそろえ、樹皮の織物を仕立てた衣服を纏っている。
裾や袖口には刺繍が入っている。集落の住民と同じものだ。  

常義が髷を落とした翌日、小十郎もそれに倣った。
お前はそのままで良い、という常義に、小次郎は微笑んで答えた。
私の今ある場所も此処なのです、常義さまと同じに、と。

「後悔はせぬのか、小十郎。出奔した俺などは捨て置いて、
 お前は陸奥に戻ることも出来るのだ」

「ご無礼ながら、この小十郎、
常義さまの奔放さに巻き込まれたのです。
 私も見届けたくなった。主に巻き込まれ、
 うろたえ、それを乗り越える己の様を」

常義さま。私はあなた様の杭、にございます。
杭はしかと地に張り付くもの。
地は杭に任せ、あなた様には望みのままに駆けて頂きたい。
そして、杭を抜くことをあなた様がお望みなら、それもお望みのままに。

「 ……なかなかに抜けぬ杭、ではないのか?小十郎」

常義も笑みで応じる。小十郎は晴れやかな顔のまま、無言で頷いた。

常義は己の裡に取り込もうと試みた。北の民の生きる知恵を。
東北の地にあった時は、刀より弓を好んで用いた。
此処で使われる弓は短く、弦が固い。
何度も手指の皮を裂きながら、
常義は小さな強弓を己が手に馴染ませていった。

そして三月。北の地に新たな風が吹こうとしている。
今、常義の傍らにはサライが在る。
割られた舟を前にして、サライは言葉を継いだ。

「俺たちの神(カムイ)はひとつ処に在るのではない。
 人、けもの、物、万象全てに神が宿る。
 この刳舟も、神が姿を変えたものだ。
 割られたのは舟ではない。
 俺たちの魂なのだ。あいつ等には解るまいが」

ツネヨシ。シサム(隣人)として皆に認められたとしても、
お前はウタリ(同胞)には成り得ない。成る必要もないのだ。
サライの言葉が、常義を深く貫いた。

サライが集落に帰った後も、常義は割られた刳舟の前に佇んでいた。
俺は何故此処にいるのだ、何をしているのか……。
自問を宛て無く繰り返す。
異質な気配があった。脇を見ると、総髪の侍が三人、
何事かを喚きちらしながらこちらに近づいてくる。
誰何(すいか)する事なく、常義は人影に飛び掛かった。
一人が、常義の体を受けて地面に転がる。

「ぐわっ。……き、貴様は、何だっ!」

残り二人の手が鯉口に掛かる。常義は素手でそれに応じた。
刀を持つ拳を抑え、それを奪う。
一人の頸に手刀を叩き込み、もう一方の腹に拳を喰らわせた。

「貴様等は何処の者だ?」

自分の声が低く乾いている。足下にうずくまる三人に、常義は質した。

「……花沢(現・北海道上ノ国町)の館の辺りだ。
 今は、ヨイチ(余市)の小屋にいるが」

花沢。その名に常義は覚えがあった。
浪人たちの一人が、常義を胡散臭そうに見上げて言った。

「……蝦夷(エゾ)ではない様だな、
 貴様。こんな所で何をしている?」

「尋ねる前に答えろ。この舟が何故壊されたのか、
 貴様等は知っているな?」

「そんなものがどうした。こんな所まで流されてきた座興よ。
 何の文句がある、貴様に」

空を曇雲が覆った。
激しい夕立の中を、三人がよろめきつつ去っていく。
罵声は雨音に覆われ、消えた。


同じ頃。常義が身を寄せる集落から遠く南に下った、
箱舘の志濃里館(しのりのたて)に伝令が訪れた。

「お館は居られるか?」

「案内する、こちらへ……。火急の用向きか?」

「蝦夷共が起った。館の近隣を片端から襲っている。
ここに来るのも間近だ。一刻も早く、お館にお取り次ぎを!」

康正二(一四五六)年。
アイヌの青年にマキリの注文を受けた鍛冶師が、
口論の末に青年を刺殺した事件をきっかけに、渡島のアイヌが蜂起する。
彼らを率いたのは東の首長、コシャマイン。
戦国末期の激しい風が焔を煽り、北の地を覆っていった。

渡島の戦い(トゥミ)に身を投じたいと願う者が
セタカムイの集落でも増えはじめ、
丘の上の長人の家で評定(チャランケ)が開かれた。

「まずセタナイの同胞と合流する。
 二、三十名ほどを集め、渡島の和人を狩る。
 長人、セタカムイのトゥミ、俺を脇長人(ワキオトナ)にしてくれ!」

「ホシニよ。トゥミに出る必要はない。」

高揚を収められぬままに名乗りをあげたホシニに、長人が静かに言った。

「何故だ!セタカムイは関係ないというのか?同胞を捨て置けとでも?」

「同胞の為か、本当に。
 お前のトゥミは刳舟を割られた報復ではないのか」

ホシニは黙したまま、怒りの目を長人に注いだ。

「聞け。泊という和人館からの報せを、
 セタナイの同胞が伝えてきたのだ。」

セタナイの同胞が伝えた泊館(とまりのたて)からの
報せは次の様なものだった。
花沢に籍を置く浪人者がひどい刀傷を負わされた。
カムセタイの蝦夷が小刀で斬りつけたのを、連れの者が目撃している。
速やかにその蝦夷を泊館に差し出せ。
命に従わぬ時は、集落の者全員がその罰を受ける事となる……。

「ホシニ。和人を害する前に何故、儂に話さなかったのだ」

ホシニの憤怒の向かう先が、長人から他の者へと転じた。

「俺は見たのだ!割られた俺の刳舟の前で、
 三人の和人がこの男と話しているのを……。
 もっと仲間を引き連れて、この集落に来るかもしれない。
 こいつの手引きで!」
 
ホシニの視線は、常義が座る場所へと注がれていた。

ホシニは、長人の家の外へと常義を引きずり出した。
拳を常義へと幾度も繰り出す。常義は抗わなかった。
ホシニの拳がみぞおちにめり込む。
突き上げて来るものを堪えつつ、常義はよろめく体を辛うじて支えた。

「もう止めておけ。それ以上は無駄なことだ」

 気が付くと、二人の傍らにサライが立っていた。

「何故止める、サライ!お前、昔を懐かしんでの事か!」

憤怒が想いをねじ曲げた。ホシニはサライに呟く様に詫びた。
……済まぬ。お前の魂を汚す言葉(イタク)を赦してくれ……。
ホシニの顔が、汗と涙で濡れている。

ツネヨシ。お前はあいつ等と争っていたそうだな。
サライが常義に言葉を掛け、ホシニが目で詫びてくる。

常義は体を正し、二人に頭を下げた。

「全ては俺の浅はかさから出たこと。赦してくれとは申せぬが、
 ひとつ頼みがある。聞いてくれるか?」
 
俺に“附子”(ぶし)の扱いを教えてくれぬか。
毒矢の使い方を教えてくれ。  

本気で言っているのか?
二人の視線が、無言のままで常義に問いかけていた。

三人が評定の場に戻り、集落の行動が定められた。
長人がゆっくりと口を開く。

「皆、聞いてくれ。これは長人としての命であるが、
 不服の者があれば今の内に名乗れ。
 セタカムイの戦いの場は、渡島ではない。この集落だ。
 ホシニに罪在れど、和人にも咎あっての事。
 よって、和人の申し出には従わぬ。
 奴等が攻めてくるなら、ここで迎え撃つ!」

ツネよ。お前さんは、泊とやらについて何か存じておるか?
通詞役のレンカを座に留め置き、
長人は常義に聞き取れる様、ゆっくりと質した。

「泊館は、侍たちの住む地にある
 花沢館(はなざわのたて)の前線基地のようなもの。
 今は渡島の戦いに人が裂かれ、
 主力は多くはないだろうが……、侮れぬ」

評定に加わる者全員が、常義の言葉を受け止めた。
外で吹き荒れる風に応える様に、同胞たちの声が、唄へと変わっていった。



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