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随筆という文学について。

Xの長文ポストより加筆修正して。元のポストは👇より。

随筆家の評価は現代、 どうなっているのでしょうか。 私の高校時代に教科書に載っていた 寺田寅彦『茶わんの湯』 という一説があります。青空文庫収録のものをリンクします👇

湯気の話でここまで書けるものなのか、と教科書の頁を読みながら驚嘆した記憶があります。(授業は聞いていませんでした(ヲィ )
現代、エッセイを冠する文章の多くは「私はこんなことを体験しこう思った」で満ちているように感じます。素晴らしい話が多い。感動を呼ぶものも数多く存在します。私も示唆を受ける玉稿を多く拝読してきました。
そして、それ以上に 「この風景をあなたはどう思うか」、 私はそれが見たいのです。静かに情景を描写することで、無言のまま読者に何かしらを伝えくる美しい文章を。

寺田は漱石の弟子でした。 日本文学の静かな力量と品格を最も端的に表しているのが随筆だと、私は思います。 そして、私感ですが歌人や俳人、文芸家こそが優れた随筆を書く能力を 有しているのではないだろうか、と感じてきたのです。


拙い文章ですが、優れたお題を頂戴し、それに助けられながら、こうした「随筆」を試みました。

過疎(苦笑)noteに過分なお言葉を頂戴しております。御礼コメントをお返ししましたが、字数の限られたコメント欄に記すことが許される事項は限られており、舌足らずをお詫び申し上げます。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
拙稿をお読みくださった方々は「りんご箱」に様々な思いを重ね合わせたのだと感じます。ある人は幼き日の思い出、別の人は寓話の世界、また別の人はアジアの風景を。それこそが情景描写が持つ優れた特性であると、私は信じる者なのです。

情景描写は優れた小説家が常に試みているものです。その情景を端的に表出するのが俳人・歌人・詩人であると、筆を取って30有余年、私は感じてきました。拙い歌を詠みつつ、エッセイの名を借りて密かなる随筆(という日本文学)の復権を果たしたい。これからも、テーマを探しつつ取り組んで参ります。

例え、それが現代の(出版界)ニーズからかけ離れた懐古主義と呼ばれようとも、明治、もっと言えば万葉の世界からの言の葉を学んできた者の責務として、愚直に信じ無骨な筆で。

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