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2023.5からnoteを始めたので。

素敵な企画に乗り遅れることが多いです。(以下、タレント・ヒロシさん風味で)春永睦月です….春永です…睦月と呼んでも、いいのよ(それ違う芸風)…記事の枕から妙チクリンでご無礼を(_ _)
固く見られがちな自分ですので、ちょっと芸風?捻ってみた次第です。
さて、今回は記事引用の形でリンク致します。

#理解はしてほしいこと 山根あきら様の企画です。
今年、2023は#ひとつだけ記事を残すなら という優れた企画を立案運営してくださいました。山根さま、改めてこの場を借りて御礼を。

お疲れさまでした。また、時満ちて企画を立ち上げられた際に(私がnoteを続けていられたならば)そっと賛同したく思います。

では、一年遅れの「エア参加」(ネットでエア参加も妙ですが)をしてみたく。先にリンクした記事の「タグをお使いください」のお言葉に甘え―

 企画は8/28をもって終了しましたが、これからも「#理解はしてほしいこと」というタグは、時折、覗きにいきたいと思っています。

 書きそびれた、もっと書きたいという方は、タグを使って頂ければ、と思います。よろしくお願いいたします😊。

企画最終日( 8/28 ) | #理解はしてほしいこと 。 山根あきら 様 記事より

―綴ります。以下(区切り線より下)である調で記します。



「私、職場で一緒の部門になった人とは仲良くすることに決めているの」。
転職し、挨拶でデスクを回っていたとき、そんな言葉を告げられたことがある。その時は「そうなんですね。よろしくお願いします」と無難に答えたが、心の中で私はこう思っていた。

「仲良くなる。それは関わりの中で自然にそうなるものではないのですか?
私はこの会社に仕事をするため入社しました。あなたと友達ごっこをするためではありません」と。
流石に角が立ちすぎるので言葉にはしなかったが、仲良し宣言をしてきた人と仲良くはならなかったのは自明の理(ことわり)であろう。

上記で上げた出来事は、私が三十路に入ったころ、平成も半ばとなったころの話である。あの頃、端末は二つ折り携帯、docomoのiモードが人気を博していた。今はスマートフォン主流の令和である。先の出来事はネットで引き起こされている気がするのだ。主にSNSにおいて。

今、私たちは好きに出逢い、好きに別れることができる。Followで繋がり、Removeで離れる(Block含め)。
繋がるのが自由自在なら、私は一度深呼吸してから言葉を発したい
深呼吸して、一度自分の呼気を吐き出して、新鮮な空気を吸ってから、言葉を告げても、きっと遅くはないはずだ。遅れてしまうならば、告げるタイミングではなかったのだと、私は受け止めることにしている。
それは、ネットであろうが、実生活であろうが、同じように。距離間を大切に測ろう。近づきすぎず、見失わない距離を保つために。


一年前のリアルタイムで企画参加できたなら、もう少し刈り込んで500字に収めましたが、今回はそのままにしております。670字ほどの内容です。バーチャルであるSNS。そこで誤認を起こし、傷つき傷つけられた経験があります。二度目がないように、日々を確かめ己を戒める日々です。それは言葉を綴り、誰かに届けるためです。拒絶ではなく、馴れ合いにもしない。それは、出逢いを大切にしたいからです。そんな思いを形にすることができました(文章の巧拙は別として自分にとり意味ある記事になったと思います)。山根あきら様、良企画をありがとうございます。


拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。