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夏休みの墓参りと自己肯定感について

時々、なあんにもしたくないと思うときがある。
そういうときには実際に「なあんにもしない」で過ごすに限るのだが、昔はそれを単に「サボっている自分」と認識していた。しかし、この歳になってあながちそうでもないのだなあと考え直していたりする。脳には蓄えた情報を整理する時間が必要なのだ。寝ることで大事な情報を頭の中に定着できるってことは、すでに体験済みのこと。

小学生の頃は、大した熱もないのに学校をしょっちゅう休みたがる不届きなヤツだと祖母に思われていた。祖母の口癖は「頑張らない人間はろくな大人になれない」だったので、きっと自分はその通り、ろくな大人になれないんだろうと半ば諦めに似た気持ちを抱えていたものだ。

しかし。今では、自分のサボり体質は「慢性的な低血圧が原因の倦怠感」だったと理解できるし(何しろ、いつ測っても最高血圧100を超えることがないのだ)、大正生まれの祖母は頑張らなければ生き延びることができなかったであろう時代を生き抜いてきたのだから、子供の私に向けて言い放った言葉の数々に全く悪気はなかったと思う。自分が子供だった頃の謎というものは、大人になれば自然と「なあんだ」と思うことが多いものだが、それにしてもその影響力の大きさを思えば子供と接するときの自分の行動にはよくよく気をつけねばなるまいな、と思う次第だ。

自己肯定感の低さゆえに「なんだか生きづらい」と感じている人が多い。かつて自分が他人に(予想外に)褒められたときの定番の答えは「そんなことないよ、私なんて〇〇だからさ」。これだ。褒められていることとはおよそ関係ないことで自分を下げる。これはつまり、親がやっていたことをそのまんま真似ているのだ。昔、子供を褒められた親が同じようなことをやっていた。褒めたほうも多分「そうなの、うちの子すごいのよ」といった返答は求めていないのだ。なんだったんだろ、あれ。

帰省したときに弟(30代前半)にも聞いてみた。彼も親に褒められた記憶はないという。私とは10歳違いなので、彼の青春時代にはもう私は家を出ていた。もしかして私の時とはちょっと状況が違うのかと思ってみたのだが、大した変わらないようだ。むしろ、長女の出来がいまいちだったしわ寄せが彼に行ってしまった感すらある。なんだか申し訳ない。

だが、もう世の中は変わったのだ。私はいろんな経験を経て、褒められた時は素直に「ありがとう」と答えられるようになったし、本屋に行けば「君はそのままでいい」みたいな本がたくさん売られているし、ちょっと前に流行ったアナ雪の主題歌だって「ありのままの姿見せるのよ」って歌っている。弟も仕事を辞めたいと言っている新人に「辞めてどうするんだ」とは言わないようだ。日本人の自己肯定感の低さもだんだん改善されていくだろう。

祖母はこの5月に亡くなった。大正14年生まれだから、93歳。大往生だ。
夏休みにようやく地元に帰って、久しぶりにお墓の掃除をして、お線香をあげた。祖母は自分の息子よりも、夫よりもずっと長生きをした。きっといろんなことがあっただろう。晩年になってからは自分の若い頃の話をよく聞かせてくれた。いわゆる「いい時代」の話だ。東京で映画会社で働いて、電話番をして、仕事終わりにあんみつを食べる話。祖父と見合い結婚をする随分前の(もちろん別の男との)美しき恋愛話もあったが、もしかしたらだいぶ盛った話だったのかもしれない。戦争でかなり辛い目にもあったはずだが、最後は楽しい記憶が残ったんだろうか。だったら、いいなと思う。

私はあと何年生きるのだろうか。慢性低血圧の体質は変わらないが、それが致命傷になることはなさそうなので、思ったより長生きしてしまうような気もする。祖母に「頑張れない人間はろくな大人になれない」と言われたことは今も忘れられないが(おそらく当の本人は覚えてもいないと思う)、でも夏休みくらいは何にもしなくてもいいだろう。

来週になったら、また頑張ろう。




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