彼女の風景 搭乗  54

 飛行機に足を踏み入れた途端、私の足は恐怖にすくんでしまった。乗車率は5割といったところだ。
 まいった・・・。
 この飛行機、本当に大丈夫だろうか?
 とりあえず、大事なファイルは空港でメールを送ることができたので、なんとか気持ちは落ち着いてはいた。真っ青な空が広がっていることも、意味もなく心強かった。
 思わず「いい天気だからー」とかなんとか、となりの男の人に話しかけてしまったくらいだ。

 夕べ、沖縄の最後の夜をキヨさんと過ごした。私たちは、ふとんを並べて夜遅くまで語り合った。そんな風に親子のように一緒の部屋で眠るのははじめてのことだった。
「愛する人と一緒になるのも、大事なことだよ」
「キヨさんは? キヨさんは、ずっとひとりなの?」
「そんなわけはないさ。いまはこんなだけれどさ、昔はキレイぐわーで男はいっぱい寄ってきたさ。
 若い頃に結婚して、東京に行ったよ」
 キヨさんは、遠い昔を思い返しながら、少しまぶしそうに目を細めて語りはじめた。
「私たちは、コザの街で出会ったわけさ。米軍の統治する当時の沖縄はすべてが混沌としていて、中でも白人兵と黒人兵と日本人と沖縄人が入り乱れて闊歩するコザはそんな戦後の沖縄を象徴する街だった」
「キヨさんの青春時代かぁ。もてたんでしょ?」
「当たり前さ。でも、あの人は特別だった。
『僕と一緒に東京へ行こう。そして、僕と暮らそう。』って、あの人にそう言われたとき、私はすべてを捨ててでも、あの人についていこうと思った。沖縄に二度と帰らなくても構わないとさえ思ったよ」
「それで、東京に行ったの?」わくわくしながら話を聞いている私とは対照的に、キヨさんの顔は少し曇ってしまった。
「簡単にいえば、東京での暮らしは私にはあわなかった。暮らしにつかれて、生まれたばかりの赤ん坊を抱えて、私はこころの病気になってしまったわけさ。今思えば、神さまによばれはじめていたということなんだけれどね。何もわからない夫は、世間体を気にして私は家の中に閉じこめられてしまったよ。
 子供が中学生になった頃、夫からは離縁されてしまって沖縄に追い返されたわけさ。沖縄に戻って、自分が神ダーリー(神がかり)だったってことを知って、修行をしたんだよ。けれど、10数年も使い方のわからなかった力を、正しい道に戻すのはとても大変なことだった。
 周囲の無理解のために入院をさせられているユタはいまでもたくさんいる。悲しいほどにたくさん」
 普段暗い口調で話すことも、ため息をつくことさえもしないキヨさんが、その時ばかりは肩を落としていた。
「どうしても息子を沖縄に連れてきたかったけれど、夫はそれを許してはくれなくてさ、一緒に暮らせなかった」
「その子とは? 今はあっているの?」
「別れてから一度も、その子に会うことさえ出来ていない。連絡先さえ教えてくれずに、夫も行方知れずになってしまったから。
 おばあが祈りをするのは、その子の為でもあるよ。あの子が幸せであるように、こころおだやかに、愛の中に暮らせるように。あの子のまわりにいつも光があふれていますようにと、神さまにお願いをするしかできない。
 悔やまれるのは、徹也のことだけさぁ」 

「失礼」
 声をかけられて、私は我に返った。いつの間にか飛行機は離陸し、シートベルト着用のサインも消えていた。窓側の男の人は深刻そうな顔をして席を立った。体調が悪そうだなあ。さっき話しかけたときも、決して愛想がよいとはいいがたい返答だったし。トイレにでも行ったのだろうか・・・。早く元気になれればいいのに。
 この飛行機に乗り合わせている人が、みんな幸せでありますように。

 そのとき、ガクンと飛行機が揺れ強烈な光が機内を包んだ。
 乗客は、驚き悲鳴を上げた。
 私は最初の揺れでノートブックの角で頭をぶつけ、愛しいはずのマックを抱えたそのそのまんま意識を失った。


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