012

FILE 幸せな明日

「わからない。飛び込んだあとのことは全然覚えていないから。でも、すっごく気持ちがよかった。空を飛んでるような、はじめて自由を手に入れたような気がしていたわ」
「逃げ出すことで手に入る、そんな自由が欲しいのか? 今を大切に生きることもしないで、手に入る自由が?」
 キヨさんの言葉のひとつひとつが、優しいけれど厳しかった。
「お月さまのように、自然の流れで暮らしていけば、なんの問題もなくなってゆくさ」
「お月さまですか?」
 芳明が口をはさんだ。
「そうさ、月はゆっくりとまるくなって、また欠けてゆくさね。息吸って、吐いて、潮が満ちてひいて、そんなあたり前の波さあ」
「ここにも月の暦があるんですか? 世界の先住民のように?」
「月の暦だなんて大層なものではないよ。種を植えるにも、刈り取るにも、なにをするにも月を見るさ」
 キヨさんとの暮らしはつつましくてシンプルなものだった。突然訪れた夏休みのように、わたしたちはそれを楽しんだ。
「新月と満月の日、こころをおだやかにすごして、地球とお月さまとお話しをするわけよ。たくさんのことを教えてくださるさ」
「たくさんのこと? どんなことなの? キヨさん」
「それは、自分が知りたいと思っていることだよ。
 人も、動物も草も木も海も地球も、みんな大きな波の中で一緒さあね」
「みんな、一緒かあ」
「そうさ。それを忘れているのは、人だけさ。しにふらーやっさ」
 ケタケタと笑いながら、おばあはお茶を飲む。人間は、ほんとうに愚かだと厳しいことを言って。
 けれども、おばあはちっともバカにしていない。キヨさんの口から出てくる「ふらー(愚か者)」の響きには、愛情がたくさんこもっているようだった。
「一日は新月さね。お前が海に飛び込んだ日さ。それは、浄化の日だよ。いろんないらないものを捨ててすっきりするわけ。何をどうやって捨てていいかわからなくて、自分を捨てるふらーもいるさあね。
 一四日間かけて月はまるくなる。実りの期間さ。その間にいろんなことを吸収するわけさ。そして一五日、月はまんまるになる。
 満月は昼間の太陽のように、夜空を照らしてゆく。そこでは、いろんな化けの皮がはがれるさあ。
 自由をほしがるのは、自由ではないからさ。なんで、あんたは自由でない? なにに縛られている?
 自分を縛っているのは、なにかねぇ? それをよっく見るわけさ。
 ゆっくり自分と話しをしなさい。生きるということは、ただ日々を過ごすことではないさ」
 キヨさんの言葉は、こころにじわじわと染みてゆく。文字やイメージで追っていた「自由」という言葉、わたしにとってはあこがれだったその言葉も、キヨさんが言うとまったく違うものに見えてくる。
 そう、キヨさんは自由が欲しいなんて、きっといわない。キヨさんはいつだって自由だからだ。自由の中に生きていれば、自由が欲しいなんて、かけらも思うことはない。
 この島の人は、みんなこんな風なものの考えをするんだろうか? それとも、この人は特殊な人? 自分自身とお話をしなさいといわれているにもかかわらず、わたしはキヨさんのヒミツを追いかけていた。
「毎日それができればいいさ、でも一日一五日だけでもいい。なにを悩む必要もないってことを、思い出せるはずさあ。都会に住む人は、みな暇だからいろんなことを考えるさあね。機械に仕事を任せてさ、身体を動かさないから、悩むのが仕事になっているさね。楽しいかね? おばあは、そんなのつまらないさあ」
 キヨさんは、なにをしていると楽しいんだろう? そう思い巡らせて、わたしはふっと軽くなってしまった。おかしな人だ、このおばあさんは。なにもいわずに、わたしを楽にしてしまった。
「キヨさんはきっと、なにをしていても楽しいんだろうね」
「あい? なんだわけっ? いきなり」
 おばあは、うれしそうにわたしを見る。その笑顔がすべてを物語っていた。
「楽しいさぁ。あんたもいるし、芳明もいる。畑やって、汗かいて、まや〜ぐわぁ(ねこ)と遊んで、おばあは幸せさあね」
 わたしが求めつづけていたおだやかな日々がそこにはあった。それはただのんびり暮らすことではなく、時には厳しい自然の中にも身を置き、自然と和合して生きるということなのだと、自分自身の身体で学びはじめていた。わたしの身体の中にたまっていた涙は、その島でキヨさんと芳明と時を過ごすうちに、少しずつ色を変えていきはじめた。悲しみではなく、よろこびの色に。
「今、このときが幸せでないなら、いつ幸せに生きられる? 幸せな明日を夢に見てがんばって働いているさあね。でも、幸せな明日なんて、ずっと来ないわけよ」
「来ないの? 幸せな明日は」
 きょとんとするわたしを見て、おばあはもっと楽しそうに笑った。
「わかるか? 明日は幸せだよといって眠るさあね、起きたら明日か?」
「え?」
 物わかりの悪いわたしたちをちらりと見て、シッポだけで身体に触れてゆくと、白黒まやーはおばあのひざにちょこんと座った。おおきなあくびをして、目を閉じる。
「あい〜、でーじなとんどぉ。わかっているのは、まやーだけさ」
「んもう、なによー」
「寝て、起きたら、それは今日さ。明日はいつまで待っても来ないさあね」
「ああ、そういうことか!」
 わたしたちは自分のわからんぼうなところを笑い飛ばした。そして笑いながら、ふと気がついた。これは、とってもとっても大切なことなんじゃないかって。
 明日は、来ない。いつまでたっても、今日のまま。
「幸せな明日」はいつまで経っても手には入らない。わたしたちは、そんな夢物語を追いかけて、どこまでも「幸せじゃない今日」を生きているのかもしれない。
「今を幸せに生きるってこと?」
「そうさ、それ以外になにがある? 幸せじゃない今を過ごすのが好きなら、そうすればいいさ」
「あ、いやです。僕は幸せでいたい。っていうより、僕は今、すでに幸せだ」
「幸せな今、それが延々とつづいてゆく。
 選べばいいわけさ。幸せを後回しにするのを止めて、明日の幸せを夢見ることをやめて、今を幸せに生きることを、選べばいいさあ」
 すべての瞬間を楽しく過ごすというキヨさんの生き方。それは、もしかすると都会の中でこころを殺しつづけて生きることより、はるかに高度なテクニックのいることかもしれない。けれど、それはすべてに染み渡り、周りにいる人にも笑顔を伝線させてしまう魔法だった。


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