芳明の風景 洞窟の奥からの声(1)  033

 彼女が問題意識を持って世界を見はじめたとき、僕はなにをしていたんだろうか。僕は自分が恥ずかしくなってしまった。戦争を避けるにはなにが必要? 僕にはわからないことだらけだった。まったく、彼女はこんなことを何年もひとりで考え続けていたのか? よく、気が狂わなかったものだ。
 世界の最後の日。
 それは、すぐそこにある恐怖だ。世界中には、地球や人類を何十回、何百回、何千回と滅ぼしてもあまりある兵器が存在している。どこからだって、簡単に火をつけることができる。狂気の上の危うい正気で成り立ったこの世界は、ほんのちょっと針が狂気の側にふれるだけで簡単に滅んでしまう。僕たちは、そんなところにいる。
 そして僕らは、こうして極限の状況をつきつけられなければ、そのことを実感できないほどに無意識に生きている。
 この話しをわかちあえる人が彼女にはいたのだろうか。今だって、そうだ。僕だったからこの話しをしてくれたのではなくて、この状況で一緒にいたのが僕だったからなのだ。深淵な彼女のこころの中を誰ものぞき見たことがないのかもしれない。その苦しさを表に出すことなく、ただひとりで世界の崩壊を防ぐ方法を探して葛藤し続けていたのだろうか。そうだとすれば、なんと孤独で、苦しい人生を歩いてきたのだろう。
 僕は自分の愚かさを呪った。こんなにもそばにいて、彼女の苦悩のなにひとつもわかってあげることが出来ていなかったなんて。一体僕は彼女の何を見て、彼女を愛しいと思っていたというんだろうか。
 僕らはこれからどうするべきなのか。やっぱり、この洞窟から外に出て、現状を把握するべきなんだろう。
 またしても、僕の頭は混乱しはじめていた。
「神の国を・・・」
 洞窟の中に声が響いた。
「崩壊させてしまった。私は、この手で」
 突然のことに、僕らは恐怖に固まってしまった。彼女は、僕の腕にしがみついた。
「この手で、私は神の国を崩壊させた・・・」
「泣いてる」
 彼女は突然そういいはじめると、僕の腕をさっと放して、その声のする方へ歩こうと立ち上がった。
「待てよ」
 僕は、とっさに彼女の腕を強くつかんだ。
 僕らは、ほんの少し前にこの洞窟から出てきたばかりだ。もちろん、洞窟内には僕らのほかには誰もいなかった。それなのに奥から声が聞こえてくるなんて、どう考えてもおかしすぎる。そして、外のあの風景。僕らはもう少し冷静に動くべきだった。
 僕らふたりは、数少ない生存者なのかも知れないのだから。
 彼女は疲れ切って弱々しく、それでいて強い目で僕を睨み付けた。そうすることが当たり前のことなのに、まるで僕が彼女の邪魔をしているかのように。
「行くよ」
「だけど」
「行くの」
 こういうとき、だらしなくも恐怖で動けなくなってしまうのは、男の方なのだろう。彼女はまさに直感で行動を起こしている。
 僕らはしっかりと手を繋いで、今あがってきたばかりの奥へ奥へと続く細く暗い道を歩きはじめた。
「もうどこにも逃げることはできないわ。この場を、私たちの世界を天国にすることを考えなければならない」
 彼女は懐中電灯一本の明かるさだけを頼りに、先を歩いていく。どんどん彼女の声は大きくなっていった。
「私はね、くやしいの。自分だけが生き残るなんて、絶対にイヤだった」
 彼女の声が暗い洞窟内で響きわたる。
「なんなの? なんのために、こんなことが起こるの? こんなことの中に、なんの学びがあるっていうの? くだらなすぎる。天国なんて、どこにもないんだよ。ここにしかないんだよ。手に入らないものを追い求めて、私たちは楽園を地獄にしてしまったんだ。
 世界が滅びる夢を見たとき、戦争が起こったとき。いっぱいいっぱい血が流れて無駄に人が死んでいくのを見てきた。その夢のお陰でね、私は悩んで悩んで、狂いそうになった日々を乗り越えて、いろんなことを学んできた。
 私の結論はシンプルだよ。私はみんなで一緒に行きたいの。
 もしもそいつらの言うように、浄化とか世界最終戦争(ハルマゲドン)とか次元上昇(アセンション)とか、そんなのが、そんな日が来るならば、絶対にみんなでその日を乗り越えようって、そう思ったの。選民だとか、覚醒者だとかしかが生き残れないんだとしたら、みんなで覚醒してやろうって思ったのよ。
 だったら、覚醒する方法はなに?
 それは、宗教じゃない。戦争や争いばかりを起こしてきた宗教じゃない。
 環境問題や、人権問題や、難民や飢餓や食糧問題、戦争や紛争とか、人類が抱えている滅びへの道を調べれば、調べるほど、ひとつの真っ黒なラインが見えてきた。私はずっとずっと、そのラインを解きほぐす方法を探してた。
 暴力では何も解決できない。戦争なんてクソクラエだよ。恨みからはなにもはじまらない」
 頭の中に湧いてくる最悪の状況を払拭させて、すべてを振り払うために、彼女は叫んでいた。いや、神に向かって叫んでいたのかも知れない。
「世界はこんなにも美しくて、はかなくて、おぞましくて、汚くて。それでも、それがいのちなの。
 私は世界を愛してるの。もっともっと愛したいの」
 泣きながら叫んだ彼女の一言一言が、僕の胸に刺さり続けた。彼女はこんなにも重いものをずっと抱えて、世界を眺めていたのか。
「えっ?」
 彼女が突然立ちどまったおかげで、僕は彼女にぶつかってしまい、前に転びそうになる彼女を後ろから抱き抱えることになった。うす明かりの中で照らし出される彼女。ポチャーン、水の音が響きわたる。僕らの足音と水音しかしない暗闇の中で、僕の心臓は身体から飛び出しそうなほどに脈打っていた。
「ねえ、みて。こっち」
「なに?」
「こんな道、あった?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?