FILE13 龍神の岬へ(1)  40

 港につくと、彼の運転する小さなレンタカーで、ひたすら走り続けた。
「なんだか、あの日を思い出すね」
「うん。でも、今度は沖縄に出た!とかはちょっと勘弁して欲しいね」
 次第に細くなって行く道をひたすら走り続けていた。
「いいじゃない。飛行機代いらなくて」
「あの沖縄に戻っちゃったら、どうするんだよ」
「そんなこと、恐くて想像すらしたくない」
 対向車がきても、かわせないんじゃないかと思うほどに細い曲がりくねった道に入って行くと、木々の緑色までやさしくなって、私の身体がもうここは聖域だということを感じていた。抑えきれないほどに、こころがハイになって笑顔しか出なくなってしまう。
「どしたの?」
 芳明にそう聞かれても、ニッコニコしながら「うれしいの」としか答えようがない。
 理由なくこころが喜んでしまう。ただ、その場所に参加できるのがうれしい。
 そういう場所がこの地球には確かに存在している。とはいえ、この地球上のすべての場所は聖なる地だ。それは私たちがあまりにもレベルと感度の低いアンテナを立てているが故に、忘れてしまっている悲しいことだ。
 けれど、この一帯は私のような低感度アンテナの持ち主でさえ、入った瞬間に息をのむような神聖さにかられていた。それも、締め切った車の中だというのに。
 どれほどのエネルギーの渦巻く大地なのだろうか。
「さ、ここだ」
 道が少し広くなったその場所に一軒の商店があって、その横に古ぼけた鳥居が立っていた。

 林の中を切り開いた道をしばらく歩き続けると、ようやく海へと続いていく道に到達する。林がきれて視界がひらけた途端、私たちは言葉を失った。
 龍だ。
 そこには紛れもなく偉大なる水の神様の御姿があった。むき出しになった岩が縦横じゅうおうにうねをつくりだし、龍のうろこのように延々と続いている。
 この岬すべてが龍の神様の大地なのだ。私がなにかを感じはじめたあの辺り一帯からすべてが、大いなる神の姿なのだ。丁寧につくられた階段を踏みしめるように、芳明は降りて行く。
 龍神の背骨のあまりの神々しさに、降り立つことにさえためらいを感じてしまう。私は入口に戻ると靴を脱ぎ、すみに揃えて荷物もそのまま置いた。この聖地に足を踏み入れるのに、もうカメラもどんな荷物も必要ではない。この身体とスピリットだけで、その地を感じよう。
 午後の陽射しが丸い石を敷き詰めてつくられた階段を容赦なく照らしている。大地の灼けた熱が龍神の放つ氣のように、足元から身体中へと染み込んで行く。その心地よさに、私のこころは空を舞いはじめていた。
 延々と続くその階段を降りながら、ふと歩いてきた道を振り返ると、そこにはむき出しの岩盤と木々が織りなす、万里の長城さながらの壮大な景色が広がっていた。目に入るすべての景色が、胸を強く打つ。この地に立つことが、私の運命だったかのように。
 その龍の背骨の半分も歩ききらないうちに、私は感動に打ちひしがれていた。このまま、この地に座り込んで溶けてしまいたい。この先に、一体どれほどのものが、私を待っているというのだろうか。体験したことのない感動に胸を震わせながら、私はクライマックスに訪れるであろう未知のなにかを強烈に畏れていた。なにかとてつもなく大きな存在によって、魂のコードに直接アクセスされているような、そんな畏怖感を感じていた。
 とんびが弧を描き、岩を降りゆく私たちを眺めていた。部外者を警戒するように空を舞っている。
 
 異界へと続いて行くかのような龍の背中につくられたその階段を歩き続けた。ポツリと立っている社の前に座して参拝をする。祈りを捧げながらも、ここではなく、もっと深く祈りを捧げるべき場所があることをこころのどこかが訴えかけていた。
「あれは?なに?」
 私は社の真後ろにそそり立つ山の方に、気を取られていた。あの場所にはなにがあるんだろうか。その山になにかがあると私の直感が、声を上げていた。
 その時、私たちが背にしていた、海の方向で強烈な光がきらめいた。風も強さを増して、四方八方へ吹き荒れている。驚いて振り向くと、少しの間をおいてピシャーン、ドーン、バシバシバシッ激しく雷が鳴り響いた。
ゴロゴロゴロゴロ・・・。ドシャーン
 空を見上げると、稲光が海に降り注いでいる。
 晴れきった青い空に自在に空を翔る龍のように、大空を踊るように稲光が縦横にはしっていく。深く青い空に光る稲妻、その数秒後に左から右へと走り去るようにすさまじい音が鳴り響く。
 遠くの山の木々が風に揺れて、しなった枝がおいでおいでをしているように見えた。
 雲ひとつない空を、龍が翔る。
 遊んでいる。飛び回っている。楽しそうに。うれしそうに。
 霊気が縦横無尽に走り回っていた。 

 その空で繰り広げられている、あまりにも神々しいドラマに、私たちはただただ立ち尽くしていた。
「龍だ」とその一言さえもらす余裕もなく、ただその広大な空を踊る神の姿を眺めていた。

「世界が和合するように。すべての人がこころの中の愛を想い出し、平和で穏やかに清らかに暮らせるように」
 私はその方向に向かって足を一歩踏み出した。
 その時、一瞬にして空気がかわった。その場所だけ、風の流れがあからさまに違っていた。その草原のほかの場所と、特別なにがかわっているわけでもないのに、そこに立った瞬間に足の裏からじわじわと力強いなにかが昇ってくるような感覚に陥った。私は、その場所の気持ちよさに驚きこころを打たれた。
 しゃがみ込んで大地にそっと左手を近づけてみると、ジンジンと熱が伝わってくる。地面に触れてみると、不思議なことがわかった。大地が熱いのでも、周囲の草花が熱いわけでもないのだ。そこに手を近づけると気のようなものがあがってきて私の体熱と交歓するように熱を発するようだった。
 ふと気がつくと、私はその場に座り込んで、祈りを捧げていた。
「弱い私を支えてください。大切なものを見れる目と感じられる力をあたえてください。誰のための旅でもない私の旅を、たくさんの気づきをもたらすものにできるように。どうぞ、導いてください。
 すべての人のこころが安らかで美しく、そのこころの中に存在する愛と調和を想い出すように、そしてその想いが広がってゆくように」
 自分のこころに浮かんできた言葉を、こころの底からの想いとして口に出せるようになるまで、私は何度もなんどもくり返した。
「私に繋がるすべての人が今日も平和と愛の中に生きられますように。お導きください、お見守りください。
 どうぞ、この祈りを聞き届けてください。
 私のこの弱い心が惑わされそうになったときには、どうぞ厳しくおしかりください。
 すべての人が、そのこころの中に存在する愛を想い出し、争いや暴力から目覚めることが出来ますように、どうぞ私に祈りを捧げさせてください」
そう祈りを捧げたその時、キヨさんの声が心に響いた。
「お前はまだ、逃げつづけるのかい?もううわべの事はいいさ。
お前が捨てた、女性性。それが今、必要なんだ。じゃあ、それはどうやって取り戻す?」
 私が女であることを捨てた日。それは、龍神様の海に身を投げた日だ。それを取り戻すためには、あの過去を私自身の心の中で整理しなければならない。
 思い出すことさえつらい、あの過去を?
「捨てた瞬間に戻って、その時空を浄化して、そして取り戻すしか方法はないさ」
 恐いと思う反面、それ以外に私がやるべきことはないとも思った。そう感じたとき、次にやるべきことがはっきりと浮かんできた。
 空が青くて、すべてが美しかった。

 私はこみ上げてくる笑みをこらえることが出来なかった。さわさわと風に揺れているいろんな草が、うれしそうに歌っているように見えた。
 キヨさんとティダが微笑んでいるのが私のまぶたの裏にしっかりと浮かんでいた。
 強烈な幸せに包まれた私は、自分の強さを信じはじめた。私が生きていることを、ほんの少し誇れるような気がした。どんなに強い風に吹かれても、どんなことが起こったとしても、この幸せを忘れない限り、私はこのままどこまでも歩いてゆけるだろう。


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