芳明の風景 夢と現実(3)  032

 彼女の独白に対して、どんな言葉をかけていいのか、まったくわからなかった。普段の彼女は、頭の中で文章を創りあげてからそれを口に出すような、理路整然とものを話す人だ。だけど、その時の彼女の口から出てくる言葉はとぎれとぎれで、あいまいな言葉も多かった。それでも、彼女は一生懸命話しをし続けていた。まるで、黙ってしまえば世界が崩壊してしまうとでもいうように。彼女は、暗闇に向かって話しながら、頭の中をまとめていっているようだった。僕にできることは、ただただそばにいて彼女の話を聞くことだけだった。
「これはなにを意味しているんだろうって、考えはじめたとき、あの戦争が起こったの。このまま、この家で自分のこころを殺して生きるなんてできないってそう思って家を出た。
 自分でもどうしていいかわからなかった。世界は崩壊するのか、私はなにをすればいいのかって。日々葛藤したの。だからひとりになって、いろんなことを勉強した。
 結局、あの戦争で世界が滅びることはなかった。でも、私の生き方はかわったわ。私は、それを後悔はしていない」
 そこまで話すと、彼女は僕が持ったままだったペットボトルを受け取って、水をコップに注いだ。そしてそれを僕に手渡した。
 いつもそうだった。食べたり、飲んだり、それになにか楽しいことをするとき、彼女はまず人に分け与えた。そして誰かが、飲んだり、食べたり、うれしそうな顔をしているのを眺めながら、彼女もまたうれしそうに笑う。そんなふうにして彼女は、幸せを人に分け与えると同時に、つらいこと、悲しいことはいつもその胸に閉じこめて生きてきたのだろう。
 僕は彼女を抱きしめるかわりに、彼女の手からペットボトルを受け取ると想いを込めて水を注いだ。
「ありがとう」
 そういいながら、ゆっくりと水を飲んでいく。最後の一滴までを美味しそうにうれしそうに飲み干してゆく。それは昨日の夜、満月の光の中で輝きながら笑う彼女が、月のエネルギーを染み込ませていた水だった。
 月の水がその喉を通っていくと同時に、彼女の瞳から涙がこぼれた。
「辺野古に飛行機が墜落した。
 昔、夢の中で誰かが教えてくれたのよ。関空へ向かうはずだった飛行機は、離陸直後、辺野古弾薬庫に墜落した。それが、事故なのか、事件なのか。そのことを推測することは、私には不可能よ。
 かんくう、かんくう、と。夢から覚めた私は、うわごとのようにつぶやいていた。まだ、関西空港ができる遥か前から。そんな空港建設のことなど知るはずもない幼い頃の私だったというのに。
 この夢を見たのは、ほんとうにずいぶん前の出来事だから、私はすっかり忘れてしまってた」
 さっきまでの取り乱した彼女ではなかった。長年の苦悩の末にはじめて世界に落とした悲しみの涙は、洞窟に染み込んでいった。
「へのこ、という不思議な響きだけが私の脳裏に焼き付いていたわ。
 これじゃ、なんのためにそんな夢を見せられていたのかわからない。止められないんじゃ、ただ苦しいだけじゃない。
未来を変えることができないんなら、なぜそんな夢を見せるの。どうして、私を呼ぶの?」
 彼女は、長い長いため息をついて、涙を拭った。
「それが、現実に起きたと?」
 辺野古に飛行機が墜落したとして、なぜそれほどまでにひどい状況になってしまうんだ。ただの飛行機事故で、名護が壊滅するほどの惨状が起こるわけがない。今は彼女は混乱しているから、こんなことを言い出しているだけだ。
 僕は、こころの中で強く否定した。彼女のただの妄想であって欲しいと。
「わからないよ。そんなこと。
 でもね、その飛行機に乗っていた私は、機体とともに辺野古の基地に墜ちたの。
 一瞬にして世界地図から消えた日本とともに、一瞬にして消え去ってしまったの」
「それ、どういうこと?君もその飛行機に乗っていた?」
「このあたりは、自分でもよくわからない。だって、夢だもの。つじつまが合わなかったり、記憶が飛んだりすることは、別におかしいとは思わなかったの。
 その時はね、そういうことよりも、世界が滅びる可能性に気づいてしまった方が、ううん世界の現状を知らずにのほほんと生きてきた自分の愚かさの方が私にとって大事なことだったのよ」
「でも、ちょっと待てよ。ここは宜名真だぞ。辺野古の事故がなんで、こんな遠くまで影響するんだよ。
 そうだ、山火事だよ。世界は滅びてなんかいない。きっと山が燃えていただけなんだよ」
 彼女を落ち着かせようと僕は必死になっていろんなことを考えていた。
「それにさ、基地に飛行機が落ちたくらいで、日本が消えるわけないだろう。大げさだよ、それはいくらなんでも」
「なに?」
 ほほにしずくを光らせながら、突然彼女が立ち上がった。考えごとをしているみたいに落ち着かずに、身体を揺らせて、目をきょろきょろさせている。上を見上げたり、目を見開いて後ろを見たり、やがて彼女は耳をふさいで座り込んでしまった。
 嗚咽をこらえながら、悲しい吐息を洞窟内に響かせた。やがて静かな静かな声でつぶやきはじめた言葉は、彼女のこころを通して発せられているのではなく、どこか遠くから送られた信号のように僕の耳に届いてきた。
「あの日、辺野古弾薬庫に秘密裏に運ばれようとしていた核兵器が・・・」
「核? なぜ、核が沖縄の基地に?」
 誰もが知っているあたりまえの歴史を読み上げるような口調で、淡々と語りつづけられた。
「核兵器を沖縄で爆発させることで、教義を完成させようとしていたカルト集団が存在したの。ハイジャックされた飛行機は、辺野古弾薬庫に墜落した。そして、それは彼らが望むハルマゲドンの幕開けとなった」
「なぜ、沖縄を?」
「その緊急事態を受けて、米軍は沖縄を占領した。辺野古を境に沖縄本島の南北は分断されて、沖縄は日本の権力の及ばない島になった。けれど、そのときにはもう遅かったの」
 静かな彼女の語りがあまりにも恐ろしくて、僕は彼女を止めようとした。けれど、両腕をつかんで身体を揺すっても、彼女の言葉は止まらなかった。僕を振り払うと、静かに立ち上がり真っ暗な天井を見上げて言葉をつづけた。
「それに連動するかのように大地震が起きた。日本列島には活断層の上にいくつもの原子力発電所が建っていた。それが危険なことは誰もが少し考えればわかる。でも、その原発を誰も止められなかった。そして、浜岡原発はその地震によって手の着けられない事故を引き起こしたの。
日本中がパニックになっているちょうどその頃、教祖の命を受けた実行部隊は、事前に準備をしていた大量の生物兵器を東京中にばらまいたの。旧ソ連性の軍用ヘリコプターや噴霧車に大量に積みこんでね。皇居や国会議事堂、政治中枢や金融の中枢、大企業、防衛庁や警視庁、一般市民。数え切れない東京中の人々が犠牲になったわ。それだけじゃない。国際都市東京だよ。犠牲者の中には、各国の大使や企業の社員がいたわ。
 世界中が自国の民を救出するために、軍隊や医療団を急派した。その結果? 当然の出来事よね。東京はアメリカを中心とした各国軍に占領された。それと同時に、教団が北朝鮮とロシアと密接につながっていたことを発表した米軍は、北朝鮮へ向けて攻撃を開始した。沖縄と東京が火種となって第三次世界大戦の火蓋が落とされたの。
 そして、世界はその美しさを永劫に失ってしまった。沖縄と関空が歴史の終焉の舞台となったことを語り継ぐ人は、この惑星にはもう誰も残らなかった」
「じゃあ、その夢が現実となったとしたら」
 彼女は何も答えずに、大きな大きなため息をついた。
 あれほどまでに彼女が取り乱した理由が、僕にもはじめて理解できた。

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